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五星級司机

上海タクシー事情
ホテルのように運転手に☆のマークがついている。ノーマークから五ツ星まで、三ツ星からは、フロントガラスの中央部上に星の数が入った表示灯がある。三ツ星は結構見かけるが、四ツ星・五ツ星はなかなか居ない。


 私の心の友であり、blogの先輩でもあるくまさんにTBのTB返し(2/2)です。

 くまさんが記事の中で述べている通り、上海のタクシー運転手はランク付けされています。その運転手によって「★なし=無星級」から「★★★★★=五星級」まで六段階に分けられています。

 タクシー会社によってもその取得に難易度の差があると聞いたこともありますが、本当のところのシステムはよくわかりません。しかしそれなりに上海に住んで毎日のようにタクシーを利用している私ですが、「五星級」というタクシードライバーは今までに3人しか会ったことがありません。その貴重さはもう、ホテルの五星級なんかよりスゴい、嬉しいといったところです。

 さて「五星級」タクシードライバーのなにがスゴいかと言えば、確かにあの荒っぽい運転で有名な上海タクシー事情にあって大変落ち着いています。日本じゃ当たり前のことですが、それをしなければ上海では運転できないという急発進や急ブレーキはありません。もちろん危険走行もありません。彼らは自分が五星級であることに誇りを持っていますので、常に安全第一、無事故無違反運転、お客様第一を心がけています。

 さらに彼らは上海中の道路という道路を知っているのではないかというくらい道路と交通事情に通じています。彼らに道路の名前や建物の名前を言って知らなかったというケースはありません。私は五星級ドライバーのひとりが郊外にある私の会社所在地を知っていて、さらに「もうずいぶん前からありますよね」と言われたときはさすがに驚愕しました。恐ろしいまでの記憶力です。

 もちろんサービス面でも完璧で、上海では当たり前のトランクを開けるだけで、後は運転席から降りもせず客が荷物を入れるまで待つようなマネをするふざけたドライバーはあり得ません。どの運転手もきちんとシートベルトを外し、客の荷物を丁寧にしまいます。車内清掃も行き届いており、その日の客次第でしょうが、ほとんどいつもキレイです。

 さてまったく話は変わりますが、大衆タクシーには「ベンツタクシー」なるものが存在します。最近若干増えたもののまだ上海市内だけで100台しかありませんが、本当にあのベンツをタクシーにしてしまったものです。しかも料金は普通のサンタナタクシーなどと一緒です。使いたいですよね。実は私、よく使っています。

 私はよくタクシーを利用するので、五星級ドライバーふたりをよく使うのです。そのうちのひとりが大衆のベンツタクシードライバーです。24時間毎に交代勤務する彼の相棒も三星級ドライバーなので、呼べば安心の「大衆」「ベンツ」「五星級(三星級)」がすっ飛んでくるという寸法です。だいたい他に予約が入っていなければ彼らは1時間前までに電話しておけば、上海市内どこであろうとちゃんと迎えにきてくれます。

 また彼らのベンツタクシーが何らかの理由で使えないときの予備カードが「巴士」「女性」「五星級」ドライバーです。彼女のクルマは古いサンタナですが、その女性らしい気配り運転は乗っていて安心です。何より道をよく知っている♪ので、行き先の説明が簡単に済みます。

 えっへっへ。上海在住の皆様、うらやましいですか?
 ついでに彼らの名刺をUPしておきましょう。よろしければご紹介しますよ。


上海的出租公司

上海タクシー事情
薄いブルー・オレンジ・白・濃いブルー・エンジ・薄い緑それに個人の赤。。。結構たくさんあるけど、共通しているのは、


 私の心の友であり、blogの先輩でもあるくまさんにTBのTB返し(1/2)です。

 くまさんが記事の中で述べている通り、上海のタクシーは会社によってクルマの色が分かれています。薄い青色は「大衆」、金色は「強生」、白色は「錦江」、緑色は「巴士」、赤色は「法蘭紅」、濃い青色は「農工商」・・・となっています。
 ちなみに「出租公司」とはタクシー会社のことです。

 以前、上海(に限りませんが)のタクシーは「高い」「汚い」「遠回りする」などたいへん評判の悪いものでした。そこで登場したのが生きている上海経済界のカリスマ楊国平率いる大衆集団の「大衆タクシー」でした。

 彼はタクシーの色を薄いブルーに統一し、運転手には徹底したサービスをするよう教育して、世に送り出しました。徹底したサービスと言っても、クルマはきちんと清掃して決して遠回りをしないなどタクシーとして当たり前のことをきちんとやらせるようにしただけなのですが、これが今までのタクシーサービスに辟易していた上海市民に大いに受けました。今でも大衆タクシーは上海市民の間では絶大な人気を誇っています。
 私が初めて上海に来たときに受けたアドバイスの中にも「タクシーを使うなら大衆を使え」というものがありました。でも「大衆タクシー」だからと言ってヘンな運転手がまったくいないわけではありませんので、その辺は誤解なきよう。

 この大衆タクシーの成功に刺激を受けた他のタクシー会社もそれぞれにサービスを改善して追随しました。大衆タクシーに続いて次に高い評価を受けたのが金色に輝くクルマをトレードマークにする「強生タクシー」です。
 「強生タクシー」も上海市民の間ではなかなか高い評価を受けているようですが、イメージとしてはやはり「大衆の次」という感じです。

 優秀なタクシー会社は一流ホテルや大型商業ビルなどで指定タクシーになっているケースがありますので、それで判断してもよいでしょう。指定タクシーとはそのホテルなどで客待ちを許されていたり、タクシーを頼んだらその会社のタクシーがやってくるという意味です。
 上海で最も高いホテル「グランドハイアットホテル」の指定タクシーになっているのが白色のタクシー「錦江タクシー」です。もちろん「錦江タクシー」は日本人もよく知っている「錦江飯店」の指定タクシーです。ちなみに日本人が一番大好き「花園飯店」の指定タクシーはやはり「大衆タクシー」です。

 しかしその大衆タクシーも一昨年、昨年と「上海で最も高い評価を受けているタクシー会社ランキング」で2位止まりでした。ちなみに強生タクシーは3位です。
 ではどこが一番だったのか。それが赤色の「法蘭紅タクシー」です。大衆や強生に比較して走っているタクシーの台数も少なめですが、その評価の高さはダントツでした。私も何度か利用したことがありますが、確かにみないい感じの運転手ばかりでした。

 「法蘭紅タクシー」はもともといくつかの小さなタクシー会社が合併してできた会社です。経営的にも苦しかった弱小タクシー会社をひとつに統合して作られました。たいへんな苦労があったようですが、今は隠れた人気ナンバーワンタクシーにまでなりました。

 これらのことを知って、私が一番驚いたのは「上海人もやはりサービスを比較したり、求めたりしているんだなあ」ということでした。


信号機の意味

 日本社会の特徴のひとつに「他人に迷惑をかけない」文化があります。みなさんも子供の頃から両親や先生などからそうしつけられて来たのではないでしょうか。

 子供の頃からそういうしつけをされ、それが実践された社会で育つと、電車のホームでは列を作って、降りる人を先に降ろしてから乗り込むという日本の常識が出来上がります。日本でこれができない人は白い目で見られることでしょう。
 しかし中国に来たことがある人ならば分かるでしょうが、中国人は電車のホームで列を作りません。エレベーターですら降りる人を先に降ろしません。
 日本では電車やエレベーターの扉の脇で待つのが常識ですが、中国では扉の真ん前に立って開くのを待つのはごく普通の光景です。

 他人を押しのけてでもまず自分が乗り込まなければならない。乗れなかったヤツはマヌケ。これが中国の基本です。なかにはそういうことをしない人もいますが、そういう人でも中国の現実はそうであることを認めることでしょう。

 以前乗った若いタクシーの運転手に「日本人は信号を守ると聞いたが、本当か?」と尋ねられたことがありました。
 これもまた中国に来た人ならばお分かりでしょうが、中国人は信号を守りません。それどころかびゅんびゅんクルマが走り抜ける道路を人も自転車もマイペースで横切って行きます。慣れないうちは見ているだけでヒヤヒヤします。

 中央線ではない、ただの車線の上で時速40kmのバスをぎりぎりでかわし、たとえ青信号の横断歩道であっても前後左右から突っ込んでくるクルマ(中国は進行方向が赤信号でも右折可、この合流ルールは中国以外の国にもある)をやり過ごすことができて、初めてあなたもめでたく向こう側に渡れるというものです。
 もちろん弱者といえども容赦はしません。子供や老人、乳母車に対しても同じです。曲がってくるクルマは歩行者に対して邪魔だとばかりにクラクションを鳴らしっ放しにしながら歩行者の進行方向すれすれを通っていきます。一昨日、私はそういうクルマに対してスゴい剣幕で怒鳴っている西洋人を見かけましたが、まあ、「気持ちはわかるがキミの負けだよ」。

 ところで「信号を守るか?」と尋ねて来たタクシーの運転手には、
 「もちろん守るよ、そうしなければ信号の意味がないじゃないか」と答えておきました。
 彼は一瞬「お」と納得しかけましたが、次の瞬間には笑いながら「そうなんだけど、中国は違うからね」と言って笑いました。そしてさらにこう付け足しました。「日本はそういうところがいいね」と。

 それはおそらく彼の正直な感想だったと思いますが、彼の言葉は額面通りに受け取れない、なにか咎めるような嘲るようなニュアンスがあったことを私は感じました。


15,000pv到了!謝謝大家!

 このblogも、とうとう15,000pvとなりました。
 こんなにも多くの人に見てもらっているということは、書いている側としてはたいへん励みになります。みなさん、本当にどうもありがとうございます。

 じゃ、恒例となってしまいましたが、またちょっと私のことを。

 私は東京都で生まれて子供時代の多くを北海道で過ごしましたが、子供の頃から父の仕事の都合などで引っ越しや転校を繰り返していました。
 北海道だけで異なる三つの小学校に通い、東京都と北海道以外にも千葉県、神奈川県、愛知県、茨城県、大阪府、兵庫県で暮らしたことがあります。
 もちろん都道府県内の移動や以前いた場所に再び戻ったというケースも多くありますから、引っ越しは数え切れません。

 幼い頃からそんな生活をしていると、子供には子供なりの理由があって、地域のギャップというものに苦しみました。

 最もそのギャップに苦しんだのは小学校4年生の時に北海道から愛知県に移ったときです。私が北海道弁の「そうだべさー」と言うのを「田舎くせえ」と同級生に思いっきり笑われたことがあります。
 その後小学校6年生になって再び北海道に戻ったのですが、このときは私の名古屋弁の「そうだがねー」と言うのをこれまた思いっきり「田舎くせえ」と友達に笑われました。

 ほかにも愛知県ではいくらスキーの腕前が上手でもそんなことは関係なく、水泳ができなければ恥をかくということを知りました。
 私は泳げないことでいたく自尊心を傷つけられ、一念発起して5年生の秋からYMCAのスイミングスクールに通うことにしました。努力の甲斐あってか『トビウオ』までいきましたが、結局その腕前をみんなの前で披露する機会がないまま6年生の夏休みを目前にして学校を去りました。
 そのときは再び北海道に戻り、今度は丸2年の間にすっかり友達に取り残されたスキーの練習に明け暮れた覚えがあります。

 また巨人ファンと阪神ファンしかいなかった北海道と違い、愛知県にいた同級生のほとんどが中日ファンだったことも驚きでした。

 学校の勉強や個人の性格は違って当たり前だが、土地によって考え方や感じ方、スキルの優先順位などは違うのだということは知らず知らずこのような経験を通じて覚えたのではないかと自己分析しています。

 子供の頃には想像もしなかったことですが、今中国にいて中国人とともに仕事をしていると、そんな子供の頃の経験が私の中でいきているのかなと思うことがあります。


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上海のバス

 中国ブロガーきってのバスマスターと言えばあおいさまです。そのバス好きはもしかすると路線バスが通っているところなら、新疆でもローマでもガラパゴス諸島でもバスで行ってしまうのではないか?と心配したりもしますが・・・あれば彼女は行くと思います。

 さて上海の路線バスはエアコンなしで1元(13円)から。エアコン付きでも2元からと格安です。最近どんどん新しい車輌が導入されているようで、電光掲示板やテレビなどが装備されているバスも増えてきました。
 メジャーな路線バスは日本より運行本数がかなり多く、さらにバスレーンが確保されている道路も多いことから、停留所でバスを待っていると次から次へとバンバンやってきます。この辺の使い勝手は「良い」と言っていいでしょう。

 上海市内を走る路線バスは無数にありますので、バスを利用したい人はまずそこらへんの新聞/雑誌を売っているスタンドなりおばちゃんなりから「路線バスマップ」をゲットする必要があります。値段は私も知りませんが、たぶん10元以下で買えると思います。
 マップには路線バスの番号がずらりと並んでいて、「22」とか「937」とか路線バスの番号別にそれぞれのバスがどういうルートを通るかが書かれています。利用する人はそれを見ながら出発する場所と到着する場所を探して、自分が乗るべきバス路線を確認するのですが、マップから正確にそういう情報を拾い出せるのは、せいぜい上海人とバスマスターくらいです。ただこれは私のカンですが、われらがバスマスターはたぶんバスマップを使っていないような気がします。

 言葉も分からず自信もなく、しかもアヤシいと感じたら路線バス利用は避けた方が無難です。何度も通うようなところでしたらまず最初にタクシーを利用して行ってみて、現地のバス停をチェックして、次回からのご利用とする方が間違いありません。
 私は一度バスの中で外地人のおっさんが自分の行きたい場所と全然違うところに来てしまい、マジで半ベソをかいている光景を見たことがあります。その時の運転手は笑っていました。こんなところにもいたいけな田舎者をいじめる大都会の冷たい一面があります。

 さてバス停には白や黄色の色とりどりの看板が掲げられており、それぞれの看板には路線バスの番号とともに行き先が書いてあります。みんなと一緒に待ちましょう、そのうちたくさんバスがやってきます。自分の乗るべきバスの番号さえ覚えていれば、バスのフロントガラスの上部にはでかでかと「22」とか表示されていますので、ここで乗り間違える人はあまりいないでしょう。

 ただラッシュ時には何台ものバスがひとつのバス停に殺到し、30m×二車線くらいがそれぞれ勝手なカタチで停車するものですから、結局どれも身動きが取れなくなって、自業自得という名のクラクションによる合奏を聞くことができます。まことに心安らぐ上海らしい風物詩と言えましょう。

 またそういう光景を見た何事にもおおらかな中国人運転手が「じゃ、ボクはこの辺で」というカンジでバス停からかなり離れたところに勝手に「ボクちんのバス停」を設置したりします。そんな時あなたが遠く離れた本当のバス停から「あ、私の乗るバスだ。もうすぐこっちに来るんだわ」とか思っていたら、向こうでバスから人がわらわら降りてきて、降ろすだけ降ろしたらブッブーッとか言って出発しちゃったりします。

 さあ、そういう時は隣にいた上海人のおばさんたちとともに速攻でバスに向かってダッシュしましょう。男も女も老いも若きも金持ちも貧乏人もみんな髪を振り乱し、足をもつらせながらバスに向かって走り出します。途中、日傘を振り回して周囲の人に痛い思いをさせますが、被害者に対する謝罪の優先順位は隣の家のネコの便秘問題より低く設定されています。
 息を切らせてバスに取り付いた人はバスを叩いて運転手に自分が乗り込むことをアピールする資格を得ますが、自分がバスに乗り込むと同時に一緒に走ってきた戦友とは縁が切れます。後から走ってくる彼らを置いたままドアが閉まって出発しようとももはやそれはそれで没問題です。

 上海の路線バスは運転手ひとりのワンマンバスが多くなってきており、基本的に「前乗り後ろ降り」です。だいたいどこまで行っても同一料金というケースが多いので乗ったらすぐに運賃を払います。私は『交通カード』しか使ったことがありませんが、その場合は運転手の横にある磁気板にカードをかざせば勝手に運賃を徴収してくれます。
 これがまたおもしろくて、私はいろいろ試しました。例えば2枚同時にかざせばどうなるのか?とか・・・すみません、話がずれました。

 もちろんワンマンではないバスもあって、そういうバスでは真ん中辺りにおばちゃんが立っています。おばちゃんはよく知り合いとだべっていますが、尋ねれば行き先を上海語で教えてくれる、ありがたいんだかありがたくないんだかよく分からない存在です。ときどき右折する際には小さな赤い旗を右側の窓の外に向かって出したりしていますが、あれは「巻き込まれんなよ」なのか「私が先に行くんだからオマエはそこで待っとけ」なのかはよく分かりません。

 中に乗り込むとプラスチック製の、日本だったら駅のホームにあるベンチのような椅子が並んでいます。はっきり言ってこんなものに腰掛けてバスに揺られていると、腰を悪くすること請け合いです。しかしそこは世界で一番椅子取りゲームが好きな中国人のこと、老いも若きも関係なく今日も椅子取りゲームに命を懸けます。あ、でも中国人の名誉のために言っておきますと、彼らは年寄りや妊婦さんなどにはよく席を譲りますよ。

 バスに乗っていて一番つらいのは朝夕のラッシュ時です。その混雑振りは想像を絶します。しかも真夏の朝のエアコンなしバスは最悪です。朝の強い日差しをまともに受けて、気温はぐんぐん上がり、あまりのまぶしさにカーテンだけ閉めて走ります。

 そこに大混雑です。しかもマナーのなっていない外地人がやけにでかくて汚い布団袋みたいなものを持ち込んでおり、その汚れをあなたがヴェルサーチやマックスマーラのスーツで拭き取ってあげる羽目になります。
 さらに工事現場で働く肉体労働者たちが洗濯したことのないような泥とほこりと汗をたっぷり吸ってすえた臭いのする作業服を着てがやがやと乗り込んできます。そのニオイは強烈で、アタマがくらくらしてめまいがします。さらに彼らの服に付いたほこりを拭ってあげるのもあなたのスーツですが、そのときにはもれなく土やペンキも付いたりします。

 あまりの息苦しさに窓の外を見ると道路は大渋滞で、排ガス規制のされていない大型車両からは黒煙と粉塵がもくもくと排出され、見ているだけで頭痛を誘います。トンネルの中に入ると排ガスの臭いが充満しており、後ろの打工のニオイとともにあなたを苦しめますが、渋滞のおかげでこの環境問題について考える時間だけは十分にあります。

 さて、新しいバスだけでなくもちろん古いバスもあって、中国の古いバスは座席がプラスチックでないことはいいのですが、ドアが完全に閉まっていなかったり床や天井になぜか穴があいていたりと、ノスタルジアを通り越して危ないんじゃないかと思うものまでバリバリの現役です。
 さらに2台分の車体を蛇腹でくっつけたロングバスや街中に張り巡らされた電線から電力を得るトロリーバスもあり、トロリーバスはときどき電力を得ている引っ掛け棒みたいなのが外れるのか、運転手がバスを降りてバスの後ろに標準装備されている長い鉤棒を使って電線に引っ掛け直したりしています。

 いよいよ目的地に到着して、降りるときは真ん中くらいにある扉から降りますが、日本のように「次停止します」のボタンがありません。めったにないことですが、もしバスがそのまま通り過ぎようとしているのであれば、わめき散らして「オレは降りる」意思表示をしなければなりません。
 このとき下手な中国語や日本語では、いくらわめき散らしても運転手は気がつかない可能性が高い(1勝4敗)ので、周囲にいる中国人にあなたが降りたいことをジェスチャーゲームかなんかで伝えて、彼らにわめき散らしてもらった方が確実(3勝無敗)です。

 どうです、乗りたくなったでしょう?


中華料理を材料から注文しよう!

 メニューからではなく、店が今日仕入れた材料を見ながら注文するというのは、ヨーロッパの下町などでよく見かけるタイプのレストランですが、やはりここ中国にも同じように材料から料理を注文するレストラン(もちろん中華料理屋)があります。

 慣れないうちは戸惑うかもしれませんが、なんと言っても自分で選んだ材料と指定した調理法によって作られる料理なのですから、食卓の支配者は完全にあなたです。
 もちろんグルメな友人を連れてきたときには選んだ料理のセンスはもちろんのこと、あなたが連れてきた店がどんな材料を準備しているのかまで厳しくチェックされますから、上級者向けとも言えるでしょう。

 しかしそこは必ずピンキリどちらも用意しているのが中国。ふらりと入った店がそういう店だった、ということもあります。ただできれば調理法の知識に加えて店員とやり取りしなければならないことがたくさんあるので、コミュニケーションに自信がない人は誰か中国語のできる人に一緒に付いていってもらいましょう。

 さて店に入ってテーブルに着き、服務員がテーブルの人数を確認したら「ウチは材料を見ながらオーダーを取るから1階に行きな」とか言われます。言われた通り1階に行くと、そこにはずらりと食材が並んでいます。

 それらはカテゴリ別に分けられていて、店によっても違いますが、だいたい野菜コーナー、肉類コーナー、魚介類コーナー、その他コーナーというところです。その他コーナーには今日あなたがハメたい日本人は連れて行かないようにしましょう。帰るときに「さっきあなたがおいしいと言って食べていたのはアレよ」と指差す楽しみをとっておくためです。
 それ以外にも冷菜コーナー、烤肉コーナー、点心コーナーなど厨師(料理人)によって異なるコーナーもあって、さながら食材の一大見本市の様相を呈しています。

 さていつの間にか注文を取る服務員があなたの側に付いているはずです。あなたは彼女に相談し、自分の好みを伝え、あるときは議論しながらオーダーを入れていく必要があります。

 しかしこういう店で注文するときはあくまで料理は材料が命だということを忘れずに、あらかじめ「これが食べたい」というものをどれだけ少なくしておくか、という心構えが大切です。フラットな気持ちでまずはひと通り材料を見て歩きましょう。

 例えば海鮮コーナーですが、熱帯魚専門のペットショップさながらに数えきれないほど多くの水槽に入った海鮮などの食材を見て歩くと、一応生きて泳いではいるもののあきらかに元気を失った魚が寂しげに一匹だけいるというものもあるでしょう。
 元気がないこともさることながら、そもそも数が少ないものは選べない上に入荷してから日数が経っている可能性があります。服務員に(騙されないように)尋ねてなるべくそういうものは避けましょう。え?わざとそういうものを狙って価格交渉する?あなたは上級者ですので、私ごときが申し上げることは何もありません。

 さて、ぐるりとひと回りしていくつか食材候補が決まったら、順番に調理方法を検討しましょう。名人級になると食材を選んだ瞬間に「これはこうして食べて、あれはこうやって・・・」と今日の献立全体の流れまで見えるようですが、普通はそこまでの知識も経験もセンスもありません。
 このときやはり優先順位の高い食材や調理方法が限定的な食材から調理方法を決めていくことをお勧めします。調理方法がかぶってしまうのは中華料理では悲しいことです。ですから、食べたい食材から順に、最適な調理方法と組み合わせていきます。

 例えばあなたがひと回りして一番おいしそうだったのがアワビだとしましょう。
 アワビは中国でも高級食材ですが、生(干していない)の小振りなモノはそんなに高くありません。見るとこれが大きなたらいの中にどっさり入っています。聞けば「今日入荷したばかりです」。食べるしかありませんね。

 他の食材との兼ね合いもありますが、アワビには多くの調理法があります。他の料理を先に決めてかぶっていない調理法を選択する方法もありますが、あなたはこれが本日のメインだ!と考えれば、アワビには最高の調理法を与えることにしましょう。

 今日の私の気分ならばニンニクとネギを利かせて蒸すか、豆鼓を用いるかですが、前者なら塩を強くしろとか後者なら豆鼓が好きだから多めに使えとか指示することができます。
 さらにそこに粉絲(春雨のようなもの)を載せてアワビから出てくる旨味を吸わせるのもいいかなと思えば、ネギもアサツキのみじん切りじゃなくて長ネギをこう、シラガネギにしてよと細かく指示することができます。
 または生のまま薄くスライスして刺身にしてもいいし、炒めてもいい。またはスープの具にしてもいい。そういえばさっきうまそうな蟹がいたからアレの蟹肉と蟹みそを使って一緒に炒めて豪華な料理(席家花園の名物料理)にしてやろうか・・・悩みますね。

 そんな風にすべての料理を決めていくのは「面倒で」「大変な」作業ですが、やがて並べられた料理にみんなが「おいしい!」と言ってくれるなら、苦労した甲斐もあるというものです。

 でもそうなるためには普段から中華料理を勉強しなきゃね、ということでグルメな中国人(なぜか圧倒的に男が多い)と一緒に食事をする機会は、私にとって材料と調理法の両方を勉強する場でもあるのです。


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合弁会社設立ビジネス

 中国に合弁会社を設立するとき一番気をつけなければならないのは、決して合弁相手の中国人ではありません。本当に気をつけなければならないのは同じ日本人やむしろ自分自身の誤った判断であることが多いのです。

 ある中堅メーカーがありました。規模こそさほど大きくないものの長年の努力のおかげで業界ではそれなりの地位を築きました。バブル期にも堅実な経営を続けてきた結果、内部留保でそこそこお金も貯め込みました。株式は公開していないので、うるさい株主に「配当しろ」と文句を言われることもなく、まあまあ自由に使えるお金です。

 そこの創業社長(ジジイ)が新幹線の中で日経ビジネスだかを読んじゃったのか、何かの折に中国の話を3回したら黄信号、5回言ったらもう赤信号です。
 いつの間に湧いて出たのか、どこからともなくコンサルタントや銀行などが群がってきて、「日本市場は頭打ち」「発展を続ける中国」「みんなもう出た」とか、もっともらしいが余計なことを社長に吹き込みます。

 甘い言葉に誘われて、ちょっとでも社長が「中国に合弁会社を作ろうかなー」と口を滑らせたら、まずコンサルタント(どこかで中国ビジネスをかじったオッサン)だか中国なんとか銀行(日本の信託銀行や外資系ファンドとつるんでいる)だかとにかく進出に大乗り気な連中に取り囲まれて上海に連れて来られます。魔都上海はそんな人の心をくすぐる舞台装置をちゃんと用意しています。

 まず浦東空港に降り立ち、車で市中心部に移動する間に見渡す限りの大地が広がり、地平線が見える大陸の壮大なスケールに圧倒されます。
 さらにきれいに舗装された片側4車線の高速道路を通ります。隣には並行して走るリニアモーターカーがスゴいスピードで社長の車を追い抜きます。
 やがて上海中心部に着いた社長は意匠に凝った超高層ビル群を目の当たりにします。しかも今なお大きなビルの建設ラッシュが続く光景に「これはスゴい」とか言い始めます。

 軽くひと通り圧倒されたところで、一流ホテルにチェックインです。とても中国とは思えない近代的な建物で美人のお姉さんがにこやかに対応してくれます。思わず日本円を人民元に交換する手もとが震えてしまいます。
 「いやあ、○○銀行さん。とてもいいホテルですね。どうもありがとう!」社長はお礼を言いますが、礼を述べるまでもなく、すべての費用はあんたの会社持ちです。

 さっそく視察と称して市内観光に出かけますが、これまた美人で日本語がぺらぺらの中国人のお姉さんがにっこり笑ってアテンドに付きます。「私は○○エージェンシーの△△と申します。ようこそ中国へ!」社長は鼻の下が伸びまくりです。
 見るもの聞くもの何でも珍しく、食事も好物ばかり出てきてしかもおいしいものばかり。社長はあっという間に中国大好き人間になってしまいましたが、当たり前です。こんな毎日やっているような接待に失敗するマヌケたビジネスマンを私は知りません。

 食事が終われば今度は得意の中国カラオケです。若くてきれいで日本語の上手な小姐が社長の側にべったり付いて、あれやこれやと面倒を見てくれます。まあ、だいたいここまででほとんど勝負は決まったようなものです。
 明日以降予定されている一番真面目だが一番中身のない現地企業トップとの会談などはすでに社長の判断になんの効果も及ぼしません。せいぜい「(よく知らないけど)中国の有名な企業の人とお知り合いになった」くらいです。

 ま、合弁会社に限らず経営形態などによって合作会社とかいろいろありますが、中身はだいたい同じです。日本の企業が中国というアウェーであまり知らない中国企業とよく分からない契約を交わして、カネを出して会社を作るわけです。
 もちろんうっかり騙されないように社長は弁護士や会計事務所など間に立てられるものは全部立て、コンサルタントや銀行など相談できるところには全部相談します。当然カネがかかりますが、大きなカネをポンと出すのは気が引けるが、小さなカネなら何回でも払ってしまうのが中小企業の悲しいサガです。

 多くの場合、日本の会社は技術を、外国の会社はそれ以外の部分を提供して、あとは社長をここに連れてきた乗り気な連中の話を聞けば、トントン拍子にうまくいくという筋書きです。

 しかし合弁会社も企業ですから、その設立目的は利潤の追求にあります。利潤を追求しているのはよそも同じことですから、当然生き残りをかけた競争は熾烈です。まして後発組が生き残るためには、厳しい生存競争を勝ち抜いてきた先発組の何十倍もの努力をしなければなりませんが、そのことを社長に教えてくれる人は誰もいません。調子のいいことばっかり言っているみんなが狙っているのはただひとつ、社長の会社のカネだけです。

 中国進出の夢を語る経営者の中にはロマンなんぞを求めて「中国の人のお役に立ちたい」とかわけの分からないお題目を唱えたりしますが、始まる前からそんなことを言っていてはすでに負け組決定です。
 社長を連れてきた銀行だって、要は今あるカネをどうやって効率よく増やすかという冷たい視点によって行われるただの経済活動であって、そこには経済原理があるのみです。
 もちろん会社があることによって、地域の雇用を生み、従業員やその家族の生活を支え、技術その他によって社会に役立つという側面も否定はしませんが、ま、そんなものは怜悧な経済原理から見ればお笑いぐさです。

 何はともあれ「経営判断」という社長の一声で中国に合弁会社を設立することになりました。出資比率は最悪のこっち40%、向こう40%、銀行20%です。
 スタートしてからすぐにみんな気がつきましたが、合弁会社は日本と中国、どっち付かずの経営にあっちにふらふらこっちにふらふらしています。しかし双方それなりにネームバリューのある会社ですので、市場や業界関係者はそれなりに注目のまなざしを送ります。「こりゃマズい」と思っているのは内部のしかも一部の人間だけです。

 一年後、経営は赤字続きでちっとも好転する見込みがないと見た銀行は、勝手に出資持ち分を売り払ってさっさと逃げ出します。なんでもそうですが、一番最初に逃げるヤツには仁義もない代わりに損もありません。
 まあ、銀行にしてみれば当たるかも知れなかった宝くじが当たらなかっただけの話で、そういう時の逃げ方はマニュアルにもなっています。彼らにしてみれば「よくあることさ。さっさと次の獲物を物色するか」というだけの話です。

 残されたのはすっかり険悪なムードになっている日本と中国の双方の当事者です。そして一番苦労しているのは、合弁会社で働く人たちです。
 この問題の張本人である社長は今だに何が起こっているのかわからず、本社で中国から届いた月次報告を眺めながらつぶやきます。「中国はよう儲からんなあ」。

 今日も浦東空港には海千山千の連中が次の社長を連れて降り立ちます。


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峠に君臨する中国の女豹

 中国のドライバーの運転の荒さは定評がありますが、それは上海のような都会よりもむしろ地方でその傾向が顕著です。
 おまけに地方には未舗装道路が多く、みんな貧乏なため信じられないようなおんぼろ車がよく現役で走っています。しかしそこは広く深い中国。そのようなド田舎には未舗装道路とおんぼろ車となんでも自己修理いう過酷な条件下で育ったとんでもない化け物ドライバーがいたりするものです。

 以前、私は上海からクルマで4時間ほど走った杭州市郊外の山奥にある大手中国企業の保養施設を訪ねたことがあります。その日はある企業が泊り込みの幹部研修をしており、私はその講義の一部分を受け持つことになっていました。

 さて講義も終わり、帰る段になって研修責任者が親切にもひと言誘ってくれました。
 「今日はここに泊まっていったらどうですか?」
 私は市内に別のホテルを予約していましたし、こんな田舎に泊まるのもイヤだったので、丁重にお断りしました。すると今度は「それなら早く、陽が沈む前に帰った方がいい」とハク様のようなことを言います。

 私がいぶかしげな顔をすると「ここに来るとき、崖を削った細い山道を1時間近く走ってきたでしょう。あの道は街灯もガードレールもなく、夜間走行するクルマが崖から転落する事故が絶えないのです」と言います。
 言われてみれば一応舗装はされていたものの、小型車同士でもすれ違うのが難しいくらい細く、タイトな急カーブが連続する峠道でした。ここに来るときは午前中だったので「おー、こわいな」くらいで気にもしていませんでしたが、たしかあちこちで道路工事もしていて事態は最悪です。

 真っ青になってあわてて山を下りようとしましたが、あいにくクルマがありません。そこでタクシーの手配をお願いしましたが、「速攻で来い」と呼んでもらったはずのタクシーがなかなかやってきません。
 かなり待ったあげく、あまりの遅さにタクシー会社に問い合わせてもらったところ、何かの手違いで配車されていなかったとのこと。中国ではよくある話ですが、今回ばかりは気が気ではありません。もう夕陽は山の向こうに落ちかけていました。

 お約束通り、それからたっぷり待たされました。もちろん日はとっくに暮れて山奥にある保養所周辺には今までに見たこともない真っ暗で深い闇が広がっています。蒸し暑い夜のねっとりとした闇の奥から虫の鳴き声が聞こえてきて、保養所の玄関にはわずかな光を求めて大小さまざまな蛾がたくさん集まっています。そんな寂しい夏の夜に、私は脇にカバンを置いたまま玄関に置かれた椅子に座って所在無くタバコを吸っていました。
 気が遠くなるほど長い時間が過ぎ、ようやくヘッドライトががたがた道の向こうで揺れるのが見えました。

 ぼんやりとした灯りに照らされた玄関前に砂埃を巻き上げながら、ものスゴいブレーキの音を立ててタクシーが止まりました。
 しかしそのようやくやってきたそのクルマはと言えば、これが15年オチは確実なぼろ車で、あちこち塗装が剥げており、タイヤだって見るまでもなくきっとつるつるです。街灯もガードレールもない夜の峠道で命を託す乗り物としてはかなり心もとないと判断せざるを得ません。

 「ヤバい。やっぱり泊まってこう。」
 そう思った途端タクシーのドアが勢いよく開いて、中から颯爽と女性タクシードライバーが降り立ちました。迷う様子もなくすたすたとこちらに歩いてくると、まっすぐにこちらの目を見据えて「呼んだのはあなた?」と言い放ちました。
 年齢はおそらく40歳前後、目がややきついカンジですが顔立ちが整っていて、若い頃はさぞかし美人だったことでしょう。細身のスタイルのせいか真っ赤なブラウスに黒いパンツというのもちょっと格好よく見えます。両耳には大きな金のピアスリング。

 気おされて思わず首を縦に振ってしまいますと「乗ってください」とだけ言って、私の足下にあったカバンを持ってどんどん先へ行ってしまいます。私も覚悟を決めて後部座席のドアを開けました。

 中に乗り込むと後部座席と前の座席の間は鉄格子のようなもので仕切られており、前の座席との距離がかなり狭く、かなり圧迫感があります。薄汚れた車内は長いこと掃除はしていない様子で、シートのスプリングもへたっていてやけに低く腰が沈みました。

 「じゃ、行くよ。」
 言うが早いか、クルマはヘッドライトだけを頼りに細い山道の中に飛び込んでいきました。

 彼女が駆るおんぼろタクシーはネコバスのようなもの凄い勢いで山道の中を駆け下りて行きます。私はと言えば時々彼女に話しかけられるのですが、彼女の地方訛りがきつくて聞き取りづらいのと、あまり何度も問い返して運転を誤るようなことになったら困る一心で、自然と口数も減ります。

 常時ハイビームのヘッドライトが右に左に絶え間なく振られ、その度に崖からねじれて生えている木の根本や断崖を示す天辺を赤く塗られた小さな石柱標識を瞬間、照らし出します。直線では時速80kmに達するスピードで下り峠を疾走するクルマは、一応舗装はされているがでこぼこな道の上をどん、どん、と飛び跳ねます。

 死をも覚悟したこちらとは対照的に彼女は鼻歌を歌いながらずいぶんリラックスしている様子です。つられて私もだんだん慣れて落ち着きを取り戻しました。そこで冷静に観察してみると、この女性はかなり運転が上手なことに気がつきました。

 下りの急カーブは確かにギリギリまで減速しませんが、そのブレーキングは鮮やかで、シフトチェンジも毎回機械のように正確です。峠の下りで5速を使うところが中国のタクシーらしいところですが、そこから2速まで一瞬でピタリとシフトチェンジし、それと同時に小さくブレーキを使い、急カーブを巧みなハンドルさばきで後輪が滑らないようにきちんとコントロールしています。

 途中いくつかあった工事現場や対向車も難度の低いシケインよろしく、すっと躱してしまいます。ハンドルをわずかに動かしてシケインの脇を狙ったと同時に彼女がアクセルを使うと、まるで豹のような動物がゆっくり近づいてあっという間に抜き去っていくかのように対向車はたちまちバックミラーの向こうに消えていきます。

 コーナーの立ち上がりでのアクセルの踏み込み方も毎回まったく同じです。足下は見えませんが、あまり回転数が落ちていなかった様子から、ヒールを使ってエンジンの回転数を保っているのでしょう。古い車なのでノッキング防止のテクニックとして自然と身についたものなのでしょうか。何度かでこぼこ路面に車体が跳ねる箇所がありましたが、慌てず騒がずアクセルだけできっちりとクルマを制御して、たちまちのウチに姿勢を元に戻します。

 立ち上がり加速をしながら、闇の向こうの次のカーブが見えているかのようにクルマをカーブの入り口に最短距離で持っていく技術は絶品です。流れるように無駄なくコーナーにハナ先を入れる動きには惚れ惚れします。基本的には2速と5速しか使っていませんが、クラッチとアクセルの使い方が完璧なので、そのシフトアップに気がつかないほどで、その様子はあたかも敷かれたレールの上を走っているかのようです。

 「このおばさんは、頭文字Dか!」
 彼女の運転が理解できると、もうこっちの気分はナビです。はたから見れば下りの峠道を80kmで転げ落ちるように走っていても、すっかり心に余裕ができました。むしろ「もう少し出せるんじゃないのか」などとしょうもないことを考えるようになりましたが、その辺は彼女もプロのタクシードライバー。彼女の運転は決してギリギリを攻めているのではなく、彼女なりのセーフティを確保しているのでしょう(たぶん)。

 気がつけばあっという間に楽しい峠道が終わってしまいましたが、来る時に1時間かかった峠は、下りで20分もかかっていません。
 次にクルマは湖と山に挟まれた街中を走りましたが、遮蔽物の多い極端なヘアピンも、真ん中が盛り上がった見通しの悪い三叉路も、彼女の手にかかれば水が流れるが如しです。

 やがて目的のホテルに到達しましたが、ここに至るまでの所要時間はわずか30分でした。私は彼女の運転技術を褒めましたが、当の本人は「普通ですよ」とわずかに笑っただけ。
 彼女はカネを受け取ると、愛車とともに夜の街へと消えていきました。


アテンド悲話【本社役員編】

 海外駐在員の宿命というか、やっていて一番イヤな仕事のナンバーワンはアテンドでしょう。ちなみにアテンドというのはひとりでは何もできないくせにわがままだけは言いまくりのお客さんやら日本からの出張者やらのお世話をするアレです。

 中には本社の役員なんかの前で自分の株を上げるチャンス!とばかりに張り切る駐在員もいますが、そういう人は普段の仕事を全くしないので、それもひとつの生き方と言えるかもしれません。

 とにかく「旅の恥はかき捨て」とはよく言ったもので、本当に日本人で外国に来て背筋がしゃんと伸びる人はかなり少なく、逆に浮かれちゃって普段はやらないようなことまでやりたがる人が多いのは困りものです。「せっかく来たんだから」と思っちゃうのでしょうね。

 駐在員となると外国とは言え「普段生活している場所」ですから、その行動は日本にいるときと同様に自制心が働きます。
 旅の恥はかき捨ての人たちと一緒になってみっともないことをして、明日以降ローカルスタッフに白い目で見られたくはありません。

 さて、彼らが犯す一番質の悪いものは予定を簡単に変えることです。
 こちらはただでさえ日本と違って時間におおらかな国で、朝ホテルに迎えに行くためには何時起床で、車の手配はこうで、渋滞もあり得るからこのくらいの余裕を持って・・・と何週間も前から練りに練ったスケジュールを立てますが、それをその場の気分でひょいと変えてしまいます。「できないとはなんだ!」
 こちらとしては「今はまだ午前中一番の予定だぞ?この変更が後ろのスケジュールにどういう影響を及ぼすのか分かってんのか、あんたは?」と言いたい気持ちをぐっとこらえて、「わかりました」とにっこり答えます。

 昼食ひとつとっても日本とは違います。日本のように席に座ったらさっとおしぼりがやってきて、パッとランチメニューが目の前に差し出されて、「おい、みんな日替わりでいいよな?」なんてできっこありません。「昼食に1時間もいらないだろう!」・・・頼むからドシロウトは黙っててくれ。
 しかも同席している中国人との通訳もさせられて、こちらは何も口にできません。おまけに「おい、トイレはどこだ?」と小便にもひとりで行けない始末。どのツラ下げて偉ぶっていられるのか、その神経がわかりません。

 あれこれバカどものケツを拭きながらようやく一日の仕事が終わると、どこぞで中華料理を食わせて、事務所のローカルスタッフを帰します。
 すると案の定、「おい、まだ時間も早いし、どこかで一杯やるか」と来ます。・・・わかってるよ、キミたちが楽しみにしていたメインイベントはそれだもんな。

 「仕方ねえ。付き合ってやるから、好きなところ言えよ」と言ったところで、どこに行ける連中でもありませんので、「それじゃあ、上海らしく派手なところに行きましょう」とオネーチャンがわんさかいるところに連れて行きます。

 わんさかいるところに連れて行くのはアテンドの基本です。
 なぜならスナックのようなママが勝手に女のコを座らせるところでは、彼ら(好み)とお店(持駒)の両方に通じていなければなりません。組み合わせが悪いとトラブルを招きますので、自分で好きに女のコを選ばせます。女のコが気に入らなくても選んだ自分のせいだぞ、と。

 しばらく注意しながら様子を見ていますと、さすが自分で指名しただけに女のコがお気に召した様子です。彼女の日本語もなかなか上手なようで話が弾んでいます。
 あとはひたすら時間が過ぎていくのを待ちますが、常に周囲に気を配りつつ、ピエロにも盛り上げ役にもならなければなりません。
 「歌が終わるぞ、拍手の用意」「彼のグラスにお酒を足して」「新しいおしぼりを持ってきて」「部長の機嫌はどうだ」「歌本を彼に渡そう」・・・もう、キリがありません。

 しかも場の雰囲気を壊さないようにする程度に、少しは自分の隣に座ったオネーチャンの相手もしなければなりません。なんでだよ、カネ払ってるのはこっちなのに。
 しかし私の場合、彼女たちとの会話は既に脳内でマニュアル化されていて、もう何度となく繰り返した会話を今日もまた繰り返すだけです。
 「こんばんは、私はユミでーす。よろしくお願いしまーす。」
 「ああ、よろしく。」
 「お客さんのお名前を教えてくださーい。」
 「坂本龍一。」
 「へー。あなたはとても若く見えますねー。何歳ですかー?」
 「そう言うキミはいくつ?」
 「何歳に見えますかー?」
 ・・・実におもしろくありません。なんだって女は自分の年齢を聞かれると素直にバシッと答えないのでしょうか?これに続く会話としては「どこから来たの?」「安徽省」というのがありますが、もういいでしょう。

 さて、さんざん飲んで歌って女のコと話もして深夜12時を回りました。明日は8時に迎えのクルマがホテルにやってきます。もうそろそろオヒラキにしなければなりません。
 「そろそろお時間が・・・」
 「まだ、いいじゃないかー!」
 バカタレとしか言いようがありませんが、仕方ありません。
 しかしオマエは7時に起きて朝飯も食えるが、こっちはホテルまで迎えに行くために自宅を何時に出なきゃ行けないと思ってるんだ?オマエがやっと起きる朝7時には出発だぞ?そのためには何時に起きなきゃいけないんだ、6時か?その前にこれからオマエをホテルまで送る人は誰だか分かっているのか?

 結局バカタレは1時まで騒いでから、女のコに「明日また来るねー」とか名残惜しそうに言ってようやくクルマに乗り込みました。
 もはや運転手は「こんなに遅くなるなんて話が違う、最初に聞いていた金額では承知できない」とぷんぷんです。こっそりカネを渡して、「ちゃんと明日の朝も来てくれよ」と車中でこんこんと説得します。後ろからバカタレどものいびきが聞こえます。

 明日の準備を終えて家に帰ってシャワーを浴びて布団に入って時計を見たら、もう3時です。こんな調子が彼らが出張中の一週間続きます。

 最終日、もはや出張者も駐在員も体力の限界です。お客さんと飲んで遅くなっても、そのあとで必ず立ち寄るくらいお気に入りになってしまったあの店に通い続ける彼ら。何が彼らをそこまで駆り立てるのでしょうか?もはや駐在員の頭の中では、早く飛行機に乗って落ちてくれ帰ってくれとそれしかありません。

 しかし先日聞いた駐在員仲間の話はもっとひどく、70歳近いジジイ(有名企業OB)が深夜2時過ぎてもうお店も閉店ですというのに、ずっと女のコの手を握って離さず「オレはこの女と寝るんだー!なんとかしろー!」と店内でわめき叫んで、周囲をたいへん困らせたという話も聞きました。

 はーあ。本当にイヤになります。


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中国は卒業と合格発表のシーズン

 会社に来ると、私の机の上にチョコレートがひとつ置いてありました。

 「おー、季節外れのバレンタイン!」とはちっとも思わなかったので、隣にいたAくんに尋ねてみると、「それはBさん(ワーカーのおばさん)の娘さんが上海にある医科大学に合格したので、そのお祝いとして、みなさんに配っているのです」と言います。
 中国では何か良い事やめでたい事があるとこうやってみんなに「幸せのおすそ分け」をするのが一般的です。

 私としてはとりあえず「それはお祝いの言葉のひとつも述べねばなるまい」と言いますと、Aくんは「じゃ、さっそく行きましょう!」と私を連れて生産ラインの方へ歩いていきました。白状しますが、その時点で私はそのBさんが誰なのか分かっていませんでした。私は記憶力が弱いので、ワーカーさんまで顔と名前が一致しないんですよ。

 歩いていくその廊下の途中で、Aくんが一人のおばさんを見つけて「あ、あの方がBさんです」と言いました。見ると、前工程の元締めみたいな立場のおばさんでした。
 「ああ、あなただったのか!(・・・ごめんね、もう3年も一緒に働いているのに名前も覚えてなくて)」

 とりあえず「お子さんの試験合格おめでとう、医科大学に合格するなんてとても賢いお子さんだね」と伝えますと、照れくさそうに「そんなことありません」と言って笑っていました。

 一人っ子政策が徹底している上海では、子供の進路というのは親の最重要関心事です。日本と違って高等教育機関の絶対数が少ない中国では、かなり優秀でなければ大学には入れません。
 ちょうど今頃の時期は6月に受けた大学入試の合格発表が相次ぐ頃で、この時期、悲喜こもごものドラマがあちこちで見られます。

 またこの時期は卒業シーズンでもあります。
 ウチのAくんも先週、めでたく優秀な成績で学校を卒業しました。また今週からは営業課長の甥が夏休みを利用して営業部に実習に来ており、来週からは財務専攻の学生が一人、企業実習にやって来る予定です。

 中国の卒業生たちは一斉に飛び立つ日本と違って、卒業後もいつまでもだらだらと就職活動をしながら過ごしている印象を受けますが、暑い上海の夏、社会に飛び立とうとする雛鳥たちは確実にそれぞれの第一歩を踏み出しているようです。


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