私の心の友であり、blogの先輩でもあるくまさんにTBのTB返し(2/2)です。
くまさんが記事の中で述べている通り、上海のタクシー運転手はランク付けされています。その運転手によって「★なし=無星級」から「★★★★★=五星級」まで六段階に分けられています。
タクシー会社によってもその取得に難易度の差があると聞いたこともありますが、本当のところのシステムはよくわかりません。しかしそれなりに上海に住んで毎日のようにタクシーを利用している私ですが、「五星級」というタクシードライバーは今までに3人しか会ったことがありません。その貴重さはもう、ホテルの五星級なんかよりスゴい、嬉しいといったところです。
さて「五星級」タクシードライバーのなにがスゴいかと言えば、確かにあの荒っぽい運転で有名な上海タクシー事情にあって大変落ち着いています。日本じゃ当たり前のことですが、それをしなければ上海では運転できないという急発進や急ブレーキはありません。もちろん危険走行もありません。彼らは自分が五星級であることに誇りを持っていますので、常に安全第一、無事故無違反運転、お客様第一を心がけています。
さらに彼らは上海中の道路という道路を知っているのではないかというくらい道路と交通事情に通じています。彼らに道路の名前や建物の名前を言って知らなかったというケースはありません。私は五星級ドライバーのひとりが郊外にある私の会社所在地を知っていて、さらに「もうずいぶん前からありますよね」と言われたときはさすがに驚愕しました。恐ろしいまでの記憶力です。
もちろんサービス面でも完璧で、上海では当たり前のトランクを開けるだけで、後は運転席から降りもせず客が荷物を入れるまで待つようなマネをするふざけたドライバーはあり得ません。どの運転手もきちんとシートベルトを外し、客の荷物を丁寧にしまいます。車内清掃も行き届いており、その日の客次第でしょうが、ほとんどいつもキレイです。
さてまったく話は変わりますが、大衆タクシーには「ベンツタクシー」なるものが存在します。最近若干増えたもののまだ上海市内だけで100台しかありませんが、本当にあのベンツをタクシーにしてしまったものです。しかも料金は普通のサンタナタクシーなどと一緒です。使いたいですよね。実は私、よく使っています。
私はよくタクシーを利用するので、五星級ドライバーふたりをよく使うのです。そのうちのひとりが大衆のベンツタクシードライバーです。24時間毎に交代勤務する彼の相棒も三星級ドライバーなので、呼べば安心の「大衆」「ベンツ」「五星級(三星級)」がすっ飛んでくるという寸法です。だいたい他に予約が入っていなければ彼らは1時間前までに電話しておけば、上海市内どこであろうとちゃんと迎えにきてくれます。
また彼らのベンツタクシーが何らかの理由で使えないときの予備カードが「巴士」「女性」「五星級」ドライバーです。彼女のクルマは古いサンタナですが、その女性らしい気配り運転は乗っていて安心です。何より道をよく知っている♪ので、行き先の説明が簡単に済みます。
えっへっへ。上海在住の皆様、うらやましいですか?
ついでに彼らの名刺をUPしておきましょう。よろしければご紹介しますよ。
私の心の友であり、blogの先輩でもあるくまさんにTBのTB返し(1/2)です。
くまさんが記事の中で述べている通り、上海のタクシーは会社によってクルマの色が分かれています。薄い青色は「大衆」、金色は「強生」、白色は「錦江」、緑色は「巴士」、赤色は「法蘭紅」、濃い青色は「農工商」・・・となっています。
ちなみに「出租公司」とはタクシー会社のことです。
以前、上海(に限りませんが)のタクシーは「高い」「汚い」「遠回りする」などたいへん評判の悪いものでした。そこで登場したのが生きている上海経済界のカリスマ楊国平率いる大衆集団の「大衆タクシー」でした。
彼はタクシーの色を薄いブルーに統一し、運転手には徹底したサービスをするよう教育して、世に送り出しました。徹底したサービスと言っても、クルマはきちんと清掃して決して遠回りをしないなどタクシーとして当たり前のことをきちんとやらせるようにしただけなのですが、これが今までのタクシーサービスに辟易していた上海市民に大いに受けました。今でも大衆タクシーは上海市民の間では絶大な人気を誇っています。
私が初めて上海に来たときに受けたアドバイスの中にも「タクシーを使うなら大衆を使え」というものがありました。でも「大衆タクシー」だからと言ってヘンな運転手がまったくいないわけではありませんので、その辺は誤解なきよう。
この大衆タクシーの成功に刺激を受けた他のタクシー会社もそれぞれにサービスを改善して追随しました。大衆タクシーに続いて次に高い評価を受けたのが金色に輝くクルマをトレードマークにする「強生タクシー」です。
「強生タクシー」も上海市民の間ではなかなか高い評価を受けているようですが、イメージとしてはやはり「大衆の次」という感じです。
優秀なタクシー会社は一流ホテルや大型商業ビルなどで指定タクシーになっているケースがありますので、それで判断してもよいでしょう。指定タクシーとはそのホテルなどで客待ちを許されていたり、タクシーを頼んだらその会社のタクシーがやってくるという意味です。
上海で最も高いホテル「グランドハイアットホテル」の指定タクシーになっているのが白色のタクシー「錦江タクシー」です。もちろん「錦江タクシー」は日本人もよく知っている「錦江飯店」の指定タクシーです。ちなみに日本人が一番大好き「花園飯店」の指定タクシーはやはり「大衆タクシー」です。
しかしその大衆タクシーも一昨年、昨年と「上海で最も高い評価を受けているタクシー会社ランキング」で2位止まりでした。ちなみに強生タクシーは3位です。
ではどこが一番だったのか。それが赤色の「法蘭紅タクシー」です。大衆や強生に比較して走っているタクシーの台数も少なめですが、その評価の高さはダントツでした。私も何度か利用したことがありますが、確かにみないい感じの運転手ばかりでした。
「法蘭紅タクシー」はもともといくつかの小さなタクシー会社が合併してできた会社です。経営的にも苦しかった弱小タクシー会社をひとつに統合して作られました。たいへんな苦労があったようですが、今は隠れた人気ナンバーワンタクシーにまでなりました。
これらのことを知って、私が一番驚いたのは「上海人もやはりサービスを比較したり、求めたりしているんだなあ」ということでした。
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子供の頃からそういうしつけをされ、それが実践された社会で育つと、電車のホームでは列を作って、降りる人を先に降ろしてから乗り込むという日本の常識が出来上がります。日本でこれができない人は白い目で見られることでしょう。
しかし中国に来たことがある人ならば分かるでしょうが、中国人は電車のホームで列を作りません。エレベーターですら降りる人を先に降ろしません。
日本では電車やエレベーターの扉の脇で待つのが常識ですが、中国では扉の真ん前に立って開くのを待つのはごく普通の光景です。
他人を押しのけてでもまず自分が乗り込まなければならない。乗れなかったヤツはマヌケ。これが中国の基本です。なかにはそういうことをしない人もいますが、そういう人でも中国の現実はそうであることを認めることでしょう。
以前乗った若いタクシーの運転手に「日本人は信号を守ると聞いたが、本当か?」と尋ねられたことがありました。
これもまた中国に来た人ならばお分かりでしょうが、中国人は信号を守りません。それどころかびゅんびゅんクルマが走り抜ける道路を人も自転車もマイペースで横切って行きます。慣れないうちは見ているだけでヒヤヒヤします。
中央線ではない、ただの車線の上で時速40kmのバスをぎりぎりでかわし、たとえ青信号の横断歩道であっても前後左右から突っ込んでくるクルマ(中国は進行方向が赤信号でも右折可、この合流ルールは中国以外の国にもある)をやり過ごすことができて、初めてあなたもめでたく向こう側に渡れるというものです。
もちろん弱者といえども容赦はしません。子供や老人、乳母車に対しても同じです。曲がってくるクルマは歩行者に対して邪魔だとばかりにクラクションを鳴らしっ放しにしながら歩行者の進行方向すれすれを通っていきます。一昨日、私はそういうクルマに対してスゴい剣幕で怒鳴っている西洋人を見かけましたが、まあ、「気持ちはわかるがキミの負けだよ」。
ところで「信号を守るか?」と尋ねて来たタクシーの運転手には、
「もちろん守るよ、そうしなければ信号の意味がないじゃないか」と答えておきました。
彼は一瞬「お」と納得しかけましたが、次の瞬間には笑いながら「そうなんだけど、中国は違うからね」と言って笑いました。そしてさらにこう付け足しました。「日本はそういうところがいいね」と。
それはおそらく彼の正直な感想だったと思いますが、彼の言葉は額面通りに受け取れない、なにか咎めるような嘲るようなニュアンスがあったことを私は感じました。
]]>じゃ、恒例となってしまいましたが、またちょっと私のことを。
私は東京都で生まれて子供時代の多くを北海道で過ごしましたが、子供の頃から父の仕事の都合などで引っ越しや転校を繰り返していました。
北海道だけで異なる三つの小学校に通い、東京都と北海道以外にも千葉県、神奈川県、愛知県、茨城県、大阪府、兵庫県で暮らしたことがあります。
もちろん都道府県内の移動や以前いた場所に再び戻ったというケースも多くありますから、引っ越しは数え切れません。
幼い頃からそんな生活をしていると、子供には子供なりの理由があって、地域のギャップというものに苦しみました。
最もそのギャップに苦しんだのは小学校4年生の時に北海道から愛知県に移ったときです。私が北海道弁の「そうだべさー」と言うのを「田舎くせえ」と同級生に思いっきり笑われたことがあります。
その後小学校6年生になって再び北海道に戻ったのですが、このときは私の名古屋弁の「そうだがねー」と言うのをこれまた思いっきり「田舎くせえ」と友達に笑われました。
ほかにも愛知県ではいくらスキーの腕前が上手でもそんなことは関係なく、水泳ができなければ恥をかくということを知りました。
私は泳げないことでいたく自尊心を傷つけられ、一念発起して5年生の秋からYMCAのスイミングスクールに通うことにしました。努力の甲斐あってか『トビウオ』までいきましたが、結局その腕前をみんなの前で披露する機会がないまま6年生の夏休みを目前にして学校を去りました。
そのときは再び北海道に戻り、今度は丸2年の間にすっかり友達に取り残されたスキーの練習に明け暮れた覚えがあります。
また巨人ファンと阪神ファンしかいなかった北海道と違い、愛知県にいた同級生のほとんどが中日ファンだったことも驚きでした。
学校の勉強や個人の性格は違って当たり前だが、土地によって考え方や感じ方、スキルの優先順位などは違うのだということは知らず知らずこのような経験を通じて覚えたのではないかと自己分析しています。
子供の頃には想像もしなかったことですが、今中国にいて中国人とともに仕事をしていると、そんな子供の頃の経験が私の中でいきているのかなと思うことがあります。
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さて上海の路線バスはエアコンなしで1元(13円)から。エアコン付きでも2元からと格安です。最近どんどん新しい車輌が導入されているようで、電光掲示板やテレビなどが装備されているバスも増えてきました。
メジャーな路線バスは日本より運行本数がかなり多く、さらにバスレーンが確保されている道路も多いことから、停留所でバスを待っていると次から次へとバンバンやってきます。この辺の使い勝手は「良い」と言っていいでしょう。
上海市内を走る路線バスは無数にありますので、バスを利用したい人はまずそこらへんの新聞/雑誌を売っているスタンドなりおばちゃんなりから「路線バスマップ」をゲットする必要があります。値段は私も知りませんが、たぶん10元以下で買えると思います。
マップには路線バスの番号がずらりと並んでいて、「22」とか「937」とか路線バスの番号別にそれぞれのバスがどういうルートを通るかが書かれています。利用する人はそれを見ながら出発する場所と到着する場所を探して、自分が乗るべきバス路線を確認するのですが、マップから正確にそういう情報を拾い出せるのは、せいぜい上海人とバスマスターくらいです。ただこれは私のカンですが、われらがバスマスターはたぶんバスマップを使っていないような気がします。
言葉も分からず自信もなく、しかもアヤシいと感じたら路線バス利用は避けた方が無難です。何度も通うようなところでしたらまず最初にタクシーを利用して行ってみて、現地のバス停をチェックして、次回からのご利用とする方が間違いありません。
私は一度バスの中で外地人のおっさんが自分の行きたい場所と全然違うところに来てしまい、マジで半ベソをかいている光景を見たことがあります。その時の運転手は笑っていました。こんなところにもいたいけな田舎者をいじめる大都会の冷たい一面があります。
さてバス停には白や黄色の色とりどりの看板が掲げられており、それぞれの看板には路線バスの番号とともに行き先が書いてあります。みんなと一緒に待ちましょう、そのうちたくさんバスがやってきます。自分の乗るべきバスの番号さえ覚えていれば、バスのフロントガラスの上部にはでかでかと「22」とか表示されていますので、ここで乗り間違える人はあまりいないでしょう。
ただラッシュ時には何台ものバスがひとつのバス停に殺到し、30m×二車線くらいがそれぞれ勝手なカタチで停車するものですから、結局どれも身動きが取れなくなって、自業自得という名のクラクションによる合奏を聞くことができます。まことに心安らぐ上海らしい風物詩と言えましょう。
またそういう光景を見た何事にもおおらかな中国人運転手が「じゃ、ボクはこの辺で」というカンジでバス停からかなり離れたところに勝手に「ボクちんのバス停」を設置したりします。そんな時あなたが遠く離れた本当のバス停から「あ、私の乗るバスだ。もうすぐこっちに来るんだわ」とか思っていたら、向こうでバスから人がわらわら降りてきて、降ろすだけ降ろしたらブッブーッとか言って出発しちゃったりします。
さあ、そういう時は隣にいた上海人のおばさんたちとともに速攻でバスに向かってダッシュしましょう。男も女も老いも若きも金持ちも貧乏人もみんな髪を振り乱し、足をもつらせながらバスに向かって走り出します。途中、日傘を振り回して周囲の人に痛い思いをさせますが、被害者に対する謝罪の優先順位は隣の家のネコの便秘問題より低く設定されています。
息を切らせてバスに取り付いた人はバスを叩いて運転手に自分が乗り込むことをアピールする資格を得ますが、自分がバスに乗り込むと同時に一緒に走ってきた戦友とは縁が切れます。後から走ってくる彼らを置いたままドアが閉まって出発しようとももはやそれはそれで没問題です。
上海の路線バスは運転手ひとりのワンマンバスが多くなってきており、基本的に「前乗り後ろ降り」です。だいたいどこまで行っても同一料金というケースが多いので乗ったらすぐに運賃を払います。私は『交通カード』しか使ったことがありませんが、その場合は運転手の横にある磁気板にカードをかざせば勝手に運賃を徴収してくれます。
これがまたおもしろくて、私はいろいろ試しました。例えば2枚同時にかざせばどうなるのか?とか・・・すみません、話がずれました。
もちろんワンマンではないバスもあって、そういうバスでは真ん中辺りにおばちゃんが立っています。おばちゃんはよく知り合いとだべっていますが、尋ねれば行き先を上海語で教えてくれる、ありがたいんだかありがたくないんだかよく分からない存在です。ときどき右折する際には小さな赤い旗を右側の窓の外に向かって出したりしていますが、あれは「巻き込まれんなよ」なのか「私が先に行くんだからオマエはそこで待っとけ」なのかはよく分かりません。
中に乗り込むとプラスチック製の、日本だったら駅のホームにあるベンチのような椅子が並んでいます。はっきり言ってこんなものに腰掛けてバスに揺られていると、腰を悪くすること請け合いです。しかしそこは世界で一番椅子取りゲームが好きな中国人のこと、老いも若きも関係なく今日も椅子取りゲームに命を懸けます。あ、でも中国人の名誉のために言っておきますと、彼らは年寄りや妊婦さんなどにはよく席を譲りますよ。
バスに乗っていて一番つらいのは朝夕のラッシュ時です。その混雑振りは想像を絶します。しかも真夏の朝のエアコンなしバスは最悪です。朝の強い日差しをまともに受けて、気温はぐんぐん上がり、あまりのまぶしさにカーテンだけ閉めて走ります。
そこに大混雑です。しかもマナーのなっていない外地人がやけにでかくて汚い布団袋みたいなものを持ち込んでおり、その汚れをあなたがヴェルサーチやマックスマーラのスーツで拭き取ってあげる羽目になります。
さらに工事現場で働く肉体労働者たちが洗濯したことのないような泥とほこりと汗をたっぷり吸ってすえた臭いのする作業服を着てがやがやと乗り込んできます。そのニオイは強烈で、アタマがくらくらしてめまいがします。さらに彼らの服に付いたほこりを拭ってあげるのもあなたのスーツですが、そのときにはもれなく土やペンキも付いたりします。
あまりの息苦しさに窓の外を見ると道路は大渋滞で、排ガス規制のされていない大型車両からは黒煙と粉塵がもくもくと排出され、見ているだけで頭痛を誘います。トンネルの中に入ると排ガスの臭いが充満しており、後ろの打工のニオイとともにあなたを苦しめますが、渋滞のおかげでこの環境問題について考える時間だけは十分にあります。
さて、新しいバスだけでなくもちろん古いバスもあって、中国の古いバスは座席がプラスチックでないことはいいのですが、ドアが完全に閉まっていなかったり床や天井になぜか穴があいていたりと、ノスタルジアを通り越して危ないんじゃないかと思うものまでバリバリの現役です。
さらに2台分の車体を蛇腹でくっつけたロングバスや街中に張り巡らされた電線から電力を得るトロリーバスもあり、トロリーバスはときどき電力を得ている引っ掛け棒みたいなのが外れるのか、運転手がバスを降りてバスの後ろに標準装備されている長い鉤棒を使って電線に引っ掛け直したりしています。
いよいよ目的地に到着して、降りるときは真ん中くらいにある扉から降りますが、日本のように「次停止します」のボタンがありません。めったにないことですが、もしバスがそのまま通り過ぎようとしているのであれば、わめき散らして「オレは降りる」意思表示をしなければなりません。
このとき下手な中国語や日本語では、いくらわめき散らしても運転手は気がつかない可能性が高い(1勝4敗)ので、周囲にいる中国人にあなたが降りたいことをジェスチャーゲームかなんかで伝えて、彼らにわめき散らしてもらった方が確実(3勝無敗)です。
どうです、乗りたくなったでしょう?
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慣れないうちは戸惑うかもしれませんが、なんと言っても自分で選んだ材料と指定した調理法によって作られる料理なのですから、食卓の支配者は完全にあなたです。
もちろんグルメな友人を連れてきたときには選んだ料理のセンスはもちろんのこと、あなたが連れてきた店がどんな材料を準備しているのかまで厳しくチェックされますから、上級者向けとも言えるでしょう。
しかしそこは必ずピンキリどちらも用意しているのが中国。ふらりと入った店がそういう店だった、ということもあります。ただできれば調理法の知識に加えて店員とやり取りしなければならないことがたくさんあるので、コミュニケーションに自信がない人は誰か中国語のできる人に一緒に付いていってもらいましょう。
さて店に入ってテーブルに着き、服務員がテーブルの人数を確認したら「ウチは材料を見ながらオーダーを取るから1階に行きな」とか言われます。言われた通り1階に行くと、そこにはずらりと食材が並んでいます。
それらはカテゴリ別に分けられていて、店によっても違いますが、だいたい野菜コーナー、肉類コーナー、魚介類コーナー、その他コーナーというところです。その他コーナーには今日あなたがハメたい日本人は連れて行かないようにしましょう。帰るときに「さっきあなたがおいしいと言って食べていたのはアレよ」と指差す楽しみをとっておくためです。
それ以外にも冷菜コーナー、烤肉コーナー、点心コーナーなど厨師(料理人)によって異なるコーナーもあって、さながら食材の一大見本市の様相を呈しています。
さていつの間にか注文を取る服務員があなたの側に付いているはずです。あなたは彼女に相談し、自分の好みを伝え、あるときは議論しながらオーダーを入れていく必要があります。
しかしこういう店で注文するときはあくまで料理は材料が命だということを忘れずに、あらかじめ「これが食べたい」というものをどれだけ少なくしておくか、という心構えが大切です。フラットな気持ちでまずはひと通り材料を見て歩きましょう。
例えば海鮮コーナーですが、熱帯魚専門のペットショップさながらに数えきれないほど多くの水槽に入った海鮮などの食材を見て歩くと、一応生きて泳いではいるもののあきらかに元気を失った魚が寂しげに一匹だけいるというものもあるでしょう。
元気がないこともさることながら、そもそも数が少ないものは選べない上に入荷してから日数が経っている可能性があります。服務員に(騙されないように)尋ねてなるべくそういうものは避けましょう。え?わざとそういうものを狙って価格交渉する?あなたは上級者ですので、私ごときが申し上げることは何もありません。
さて、ぐるりとひと回りしていくつか食材候補が決まったら、順番に調理方法を検討しましょう。名人級になると食材を選んだ瞬間に「これはこうして食べて、あれはこうやって・・・」と今日の献立全体の流れまで見えるようですが、普通はそこまでの知識も経験もセンスもありません。
このときやはり優先順位の高い食材や調理方法が限定的な食材から調理方法を決めていくことをお勧めします。調理方法がかぶってしまうのは中華料理では悲しいことです。ですから、食べたい食材から順に、最適な調理方法と組み合わせていきます。
例えばあなたがひと回りして一番おいしそうだったのがアワビだとしましょう。
アワビは中国でも高級食材ですが、生(干していない)の小振りなモノはそんなに高くありません。見るとこれが大きなたらいの中にどっさり入っています。聞けば「今日入荷したばかりです」。食べるしかありませんね。
他の食材との兼ね合いもありますが、アワビには多くの調理法があります。他の料理を先に決めてかぶっていない調理法を選択する方法もありますが、あなたはこれが本日のメインだ!と考えれば、アワビには最高の調理法を与えることにしましょう。
今日の私の気分ならばニンニクとネギを利かせて蒸すか、豆鼓を用いるかですが、前者なら塩を強くしろとか後者なら豆鼓が好きだから多めに使えとか指示することができます。
さらにそこに粉絲(春雨のようなもの)を載せてアワビから出てくる旨味を吸わせるのもいいかなと思えば、ネギもアサツキのみじん切りじゃなくて長ネギをこう、シラガネギにしてよと細かく指示することができます。
または生のまま薄くスライスして刺身にしてもいいし、炒めてもいい。またはスープの具にしてもいい。そういえばさっきうまそうな蟹がいたからアレの蟹肉と蟹みそを使って一緒に炒めて豪華な料理(席家花園の名物料理)にしてやろうか・・・悩みますね。
そんな風にすべての料理を決めていくのは「面倒で」「大変な」作業ですが、やがて並べられた料理にみんなが「おいしい!」と言ってくれるなら、苦労した甲斐もあるというものです。
でもそうなるためには普段から中華料理を勉強しなきゃね、ということでグルメな中国人(なぜか圧倒的に男が多い)と一緒に食事をする機会は、私にとって材料と調理法の両方を勉強する場でもあるのです。
]]>ある中堅メーカーがありました。規模こそさほど大きくないものの長年の努力のおかげで業界ではそれなりの地位を築きました。バブル期にも堅実な経営を続けてきた結果、内部留保でそこそこお金も貯め込みました。株式は公開していないので、うるさい株主に「配当しろ」と文句を言われることもなく、まあまあ自由に使えるお金です。
そこの創業社長(ジジイ)が新幹線の中で日経ビジネスだかを読んじゃったのか、何かの折に中国の話を3回したら黄信号、5回言ったらもう赤信号です。
いつの間に湧いて出たのか、どこからともなくコンサルタントや銀行などが群がってきて、「日本市場は頭打ち」「発展を続ける中国」「みんなもう出た」とか、もっともらしいが余計なことを社長に吹き込みます。
甘い言葉に誘われて、ちょっとでも社長が「中国に合弁会社を作ろうかなー」と口を滑らせたら、まずコンサルタント(どこかで中国ビジネスをかじったオッサン)だか中国なんとか銀行(日本の信託銀行や外資系ファンドとつるんでいる)だかとにかく進出に大乗り気な連中に取り囲まれて上海に連れて来られます。魔都上海はそんな人の心をくすぐる舞台装置をちゃんと用意しています。
まず浦東空港に降り立ち、車で市中心部に移動する間に見渡す限りの大地が広がり、地平線が見える大陸の壮大なスケールに圧倒されます。
さらにきれいに舗装された片側4車線の高速道路を通ります。隣には並行して走るリニアモーターカーがスゴいスピードで社長の車を追い抜きます。
やがて上海中心部に着いた社長は意匠に凝った超高層ビル群を目の当たりにします。しかも今なお大きなビルの建設ラッシュが続く光景に「これはスゴい」とか言い始めます。
軽くひと通り圧倒されたところで、一流ホテルにチェックインです。とても中国とは思えない近代的な建物で美人のお姉さんがにこやかに対応してくれます。思わず日本円を人民元に交換する手もとが震えてしまいます。
「いやあ、○○銀行さん。とてもいいホテルですね。どうもありがとう!」社長はお礼を言いますが、礼を述べるまでもなく、すべての費用はあんたの会社持ちです。
さっそく視察と称して市内観光に出かけますが、これまた美人で日本語がぺらぺらの中国人のお姉さんがにっこり笑ってアテンドに付きます。「私は○○エージェンシーの△△と申します。ようこそ中国へ!」社長は鼻の下が伸びまくりです。
見るもの聞くもの何でも珍しく、食事も好物ばかり出てきてしかもおいしいものばかり。社長はあっという間に中国大好き人間になってしまいましたが、当たり前です。こんな毎日やっているような接待に失敗するマヌケたビジネスマンを私は知りません。
食事が終われば今度は得意の中国カラオケです。若くてきれいで日本語の上手な小姐が社長の側にべったり付いて、あれやこれやと面倒を見てくれます。まあ、だいたいここまででほとんど勝負は決まったようなものです。
明日以降予定されている一番真面目だが一番中身のない現地企業トップとの会談などはすでに社長の判断になんの効果も及ぼしません。せいぜい「(よく知らないけど)中国の有名な企業の人とお知り合いになった」くらいです。
ま、合弁会社に限らず経営形態などによって合作会社とかいろいろありますが、中身はだいたい同じです。日本の企業が中国というアウェーであまり知らない中国企業とよく分からない契約を交わして、カネを出して会社を作るわけです。
もちろんうっかり騙されないように社長は弁護士や会計事務所など間に立てられるものは全部立て、コンサルタントや銀行など相談できるところには全部相談します。当然カネがかかりますが、大きなカネをポンと出すのは気が引けるが、小さなカネなら何回でも払ってしまうのが中小企業の悲しいサガです。
多くの場合、日本の会社は技術を、外国の会社はそれ以外の部分を提供して、あとは社長をここに連れてきた乗り気な連中の話を聞けば、トントン拍子にうまくいくという筋書きです。
しかし合弁会社も企業ですから、その設立目的は利潤の追求にあります。利潤を追求しているのはよそも同じことですから、当然生き残りをかけた競争は熾烈です。まして後発組が生き残るためには、厳しい生存競争を勝ち抜いてきた先発組の何十倍もの努力をしなければなりませんが、そのことを社長に教えてくれる人は誰もいません。調子のいいことばっかり言っているみんなが狙っているのはただひとつ、社長の会社のカネだけです。
中国進出の夢を語る経営者の中にはロマンなんぞを求めて「中国の人のお役に立ちたい」とかわけの分からないお題目を唱えたりしますが、始まる前からそんなことを言っていてはすでに負け組決定です。
社長を連れてきた銀行だって、要は今あるカネをどうやって効率よく増やすかという冷たい視点によって行われるただの経済活動であって、そこには経済原理があるのみです。
もちろん会社があることによって、地域の雇用を生み、従業員やその家族の生活を支え、技術その他によって社会に役立つという側面も否定はしませんが、ま、そんなものは怜悧な経済原理から見ればお笑いぐさです。
何はともあれ「経営判断」という社長の一声で中国に合弁会社を設立することになりました。出資比率は最悪のこっち40%、向こう40%、銀行20%です。
スタートしてからすぐにみんな気がつきましたが、合弁会社は日本と中国、どっち付かずの経営にあっちにふらふらこっちにふらふらしています。しかし双方それなりにネームバリューのある会社ですので、市場や業界関係者はそれなりに注目のまなざしを送ります。「こりゃマズい」と思っているのは内部のしかも一部の人間だけです。
一年後、経営は赤字続きでちっとも好転する見込みがないと見た銀行は、勝手に出資持ち分を売り払ってさっさと逃げ出します。なんでもそうですが、一番最初に逃げるヤツには仁義もない代わりに損もありません。
まあ、銀行にしてみれば当たるかも知れなかった宝くじが当たらなかっただけの話で、そういう時の逃げ方はマニュアルにもなっています。彼らにしてみれば「よくあることさ。さっさと次の獲物を物色するか」というだけの話です。
残されたのはすっかり険悪なムードになっている日本と中国の双方の当事者です。そして一番苦労しているのは、合弁会社で働く人たちです。
この問題の張本人である社長は今だに何が起こっているのかわからず、本社で中国から届いた月次報告を眺めながらつぶやきます。「中国はよう儲からんなあ」。
今日も浦東空港には海千山千の連中が次の社長を連れて降り立ちます。
]]>以前、私は上海からクルマで4時間ほど走った杭州市郊外の山奥にある大手中国企業の保養施設を訪ねたことがあります。その日はある企業が泊り込みの幹部研修をしており、私はその講義の一部分を受け持つことになっていました。
さて講義も終わり、帰る段になって研修責任者が親切にもひと言誘ってくれました。
「今日はここに泊まっていったらどうですか?」
私は市内に別のホテルを予約していましたし、こんな田舎に泊まるのもイヤだったので、丁重にお断りしました。すると今度は「それなら早く、陽が沈む前に帰った方がいい」とハク様のようなことを言います。
私がいぶかしげな顔をすると「ここに来るとき、崖を削った細い山道を1時間近く走ってきたでしょう。あの道は街灯もガードレールもなく、夜間走行するクルマが崖から転落する事故が絶えないのです」と言います。
言われてみれば一応舗装はされていたものの、小型車同士でもすれ違うのが難しいくらい細く、タイトな急カーブが連続する峠道でした。ここに来るときは午前中だったので「おー、こわいな」くらいで気にもしていませんでしたが、たしかあちこちで道路工事もしていて事態は最悪です。
真っ青になってあわてて山を下りようとしましたが、あいにくクルマがありません。そこでタクシーの手配をお願いしましたが、「速攻で来い」と呼んでもらったはずのタクシーがなかなかやってきません。
かなり待ったあげく、あまりの遅さにタクシー会社に問い合わせてもらったところ、何かの手違いで配車されていなかったとのこと。中国ではよくある話ですが、今回ばかりは気が気ではありません。もう夕陽は山の向こうに落ちかけていました。
お約束通り、それからたっぷり待たされました。もちろん日はとっくに暮れて山奥にある保養所周辺には今までに見たこともない真っ暗で深い闇が広がっています。蒸し暑い夜のねっとりとした闇の奥から虫の鳴き声が聞こえてきて、保養所の玄関にはわずかな光を求めて大小さまざまな蛾がたくさん集まっています。そんな寂しい夏の夜に、私は脇にカバンを置いたまま玄関に置かれた椅子に座って所在無くタバコを吸っていました。
気が遠くなるほど長い時間が過ぎ、ようやくヘッドライトががたがた道の向こうで揺れるのが見えました。
ぼんやりとした灯りに照らされた玄関前に砂埃を巻き上げながら、ものスゴいブレーキの音を立ててタクシーが止まりました。
しかしそのようやくやってきたそのクルマはと言えば、これが15年オチは確実なぼろ車で、あちこち塗装が剥げており、タイヤだって見るまでもなくきっとつるつるです。街灯もガードレールもない夜の峠道で命を託す乗り物としてはかなり心もとないと判断せざるを得ません。
「ヤバい。やっぱり泊まってこう。」
そう思った途端タクシーのドアが勢いよく開いて、中から颯爽と女性タクシードライバーが降り立ちました。迷う様子もなくすたすたとこちらに歩いてくると、まっすぐにこちらの目を見据えて「呼んだのはあなた?」と言い放ちました。
年齢はおそらく40歳前後、目がややきついカンジですが顔立ちが整っていて、若い頃はさぞかし美人だったことでしょう。細身のスタイルのせいか真っ赤なブラウスに黒いパンツというのもちょっと格好よく見えます。両耳には大きな金のピアスリング。
気おされて思わず首を縦に振ってしまいますと「乗ってください」とだけ言って、私の足下にあったカバンを持ってどんどん先へ行ってしまいます。私も覚悟を決めて後部座席のドアを開けました。
中に乗り込むと後部座席と前の座席の間は鉄格子のようなもので仕切られており、前の座席との距離がかなり狭く、かなり圧迫感があります。薄汚れた車内は長いこと掃除はしていない様子で、シートのスプリングもへたっていてやけに低く腰が沈みました。
「じゃ、行くよ。」
言うが早いか、クルマはヘッドライトだけを頼りに細い山道の中に飛び込んでいきました。
彼女が駆るおんぼろタクシーはネコバスのようなもの凄い勢いで山道の中を駆け下りて行きます。私はと言えば時々彼女に話しかけられるのですが、彼女の地方訛りがきつくて聞き取りづらいのと、あまり何度も問い返して運転を誤るようなことになったら困る一心で、自然と口数も減ります。
常時ハイビームのヘッドライトが右に左に絶え間なく振られ、その度に崖からねじれて生えている木の根本や断崖を示す天辺を赤く塗られた小さな石柱標識を瞬間、照らし出します。直線では時速80kmに達するスピードで下り峠を疾走するクルマは、一応舗装はされているがでこぼこな道の上をどん、どん、と飛び跳ねます。
死をも覚悟したこちらとは対照的に彼女は鼻歌を歌いながらずいぶんリラックスしている様子です。つられて私もだんだん慣れて落ち着きを取り戻しました。そこで冷静に観察してみると、この女性はかなり運転が上手なことに気がつきました。
下りの急カーブは確かにギリギリまで減速しませんが、そのブレーキングは鮮やかで、シフトチェンジも毎回機械のように正確です。峠の下りで5速を使うところが中国のタクシーらしいところですが、そこから2速まで一瞬でピタリとシフトチェンジし、それと同時に小さくブレーキを使い、急カーブを巧みなハンドルさばきで後輪が滑らないようにきちんとコントロールしています。
途中いくつかあった工事現場や対向車も難度の低いシケインよろしく、すっと躱してしまいます。ハンドルをわずかに動かしてシケインの脇を狙ったと同時に彼女がアクセルを使うと、まるで豹のような動物がゆっくり近づいてあっという間に抜き去っていくかのように対向車はたちまちバックミラーの向こうに消えていきます。
コーナーの立ち上がりでのアクセルの踏み込み方も毎回まったく同じです。足下は見えませんが、あまり回転数が落ちていなかった様子から、ヒールを使ってエンジンの回転数を保っているのでしょう。古い車なのでノッキング防止のテクニックとして自然と身についたものなのでしょうか。何度かでこぼこ路面に車体が跳ねる箇所がありましたが、慌てず騒がずアクセルだけできっちりとクルマを制御して、たちまちのウチに姿勢を元に戻します。
立ち上がり加速をしながら、闇の向こうの次のカーブが見えているかのようにクルマをカーブの入り口に最短距離で持っていく技術は絶品です。流れるように無駄なくコーナーにハナ先を入れる動きには惚れ惚れします。基本的には2速と5速しか使っていませんが、クラッチとアクセルの使い方が完璧なので、そのシフトアップに気がつかないほどで、その様子はあたかも敷かれたレールの上を走っているかのようです。
「このおばさんは、頭文字Dか!」
彼女の運転が理解できると、もうこっちの気分はナビです。はたから見れば下りの峠道を80kmで転げ落ちるように走っていても、すっかり心に余裕ができました。むしろ「もう少し出せるんじゃないのか」などとしょうもないことを考えるようになりましたが、その辺は彼女もプロのタクシードライバー。彼女の運転は決してギリギリを攻めているのではなく、彼女なりのセーフティを確保しているのでしょう(たぶん)。
気がつけばあっという間に楽しい峠道が終わってしまいましたが、来る時に1時間かかった峠は、下りで20分もかかっていません。
次にクルマは湖と山に挟まれた街中を走りましたが、遮蔽物の多い極端なヘアピンも、真ん中が盛り上がった見通しの悪い三叉路も、彼女の手にかかれば水が流れるが如しです。
やがて目的のホテルに到達しましたが、ここに至るまでの所要時間はわずか30分でした。私は彼女の運転技術を褒めましたが、当の本人は「普通ですよ」とわずかに笑っただけ。
彼女はカネを受け取ると、愛車とともに夜の街へと消えていきました。
中には本社の役員なんかの前で自分の株を上げるチャンス!とばかりに張り切る駐在員もいますが、そういう人は普段の仕事を全くしないので、それもひとつの生き方と言えるかもしれません。
とにかく「旅の恥はかき捨て」とはよく言ったもので、本当に日本人で外国に来て背筋がしゃんと伸びる人はかなり少なく、逆に浮かれちゃって普段はやらないようなことまでやりたがる人が多いのは困りものです。「せっかく来たんだから」と思っちゃうのでしょうね。
駐在員となると外国とは言え「普段生活している場所」ですから、その行動は日本にいるときと同様に自制心が働きます。
旅の恥はかき捨ての人たちと一緒になってみっともないことをして、明日以降ローカルスタッフに白い目で見られたくはありません。
さて、彼らが犯す一番質の悪いものは予定を簡単に変えることです。
こちらはただでさえ日本と違って時間におおらかな国で、朝ホテルに迎えに行くためには何時起床で、車の手配はこうで、渋滞もあり得るからこのくらいの余裕を持って・・・と何週間も前から練りに練ったスケジュールを立てますが、それをその場の気分でひょいと変えてしまいます。「できないとはなんだ!」
こちらとしては「今はまだ午前中一番の予定だぞ?この変更が後ろのスケジュールにどういう影響を及ぼすのか分かってんのか、あんたは?」と言いたい気持ちをぐっとこらえて、「わかりました」とにっこり答えます。
昼食ひとつとっても日本とは違います。日本のように席に座ったらさっとおしぼりがやってきて、パッとランチメニューが目の前に差し出されて、「おい、みんな日替わりでいいよな?」なんてできっこありません。「昼食に1時間もいらないだろう!」・・・頼むからドシロウトは黙っててくれ。
しかも同席している中国人との通訳もさせられて、こちらは何も口にできません。おまけに「おい、トイレはどこだ?」と小便にもひとりで行けない始末。どのツラ下げて偉ぶっていられるのか、その神経がわかりません。
あれこれバカどものケツを拭きながらようやく一日の仕事が終わると、どこぞで中華料理を食わせて、事務所のローカルスタッフを帰します。
すると案の定、「おい、まだ時間も早いし、どこかで一杯やるか」と来ます。・・・わかってるよ、キミたちが楽しみにしていたメインイベントはそれだもんな。
「仕方ねえ。付き合ってやるから、好きなところ言えよ」と言ったところで、どこに行ける連中でもありませんので、「それじゃあ、上海らしく派手なところに行きましょう」とオネーチャンがわんさかいるところに連れて行きます。
わんさかいるところに連れて行くのはアテンドの基本です。
なぜならスナックのようなママが勝手に女のコを座らせるところでは、彼ら(好み)とお店(持駒)の両方に通じていなければなりません。組み合わせが悪いとトラブルを招きますので、自分で好きに女のコを選ばせます。女のコが気に入らなくても選んだ自分のせいだぞ、と。
しばらく注意しながら様子を見ていますと、さすが自分で指名しただけに女のコがお気に召した様子です。彼女の日本語もなかなか上手なようで話が弾んでいます。
あとはひたすら時間が過ぎていくのを待ちますが、常に周囲に気を配りつつ、ピエロにも盛り上げ役にもならなければなりません。
「歌が終わるぞ、拍手の用意」「彼のグラスにお酒を足して」「新しいおしぼりを持ってきて」「部長の機嫌はどうだ」「歌本を彼に渡そう」・・・もう、キリがありません。
しかも場の雰囲気を壊さないようにする程度に、少しは自分の隣に座ったオネーチャンの相手もしなければなりません。なんでだよ、カネ払ってるのはこっちなのに。
しかし私の場合、彼女たちとの会話は既に脳内でマニュアル化されていて、もう何度となく繰り返した会話を今日もまた繰り返すだけです。
「こんばんは、私はユミでーす。よろしくお願いしまーす。」
「ああ、よろしく。」
「お客さんのお名前を教えてくださーい。」
「坂本龍一。」
「へー。あなたはとても若く見えますねー。何歳ですかー?」
「そう言うキミはいくつ?」
「何歳に見えますかー?」
・・・実におもしろくありません。なんだって女は自分の年齢を聞かれると素直にバシッと答えないのでしょうか?これに続く会話としては「どこから来たの?」「安徽省」というのがありますが、もういいでしょう。
さて、さんざん飲んで歌って女のコと話もして深夜12時を回りました。明日は8時に迎えのクルマがホテルにやってきます。もうそろそろオヒラキにしなければなりません。
「そろそろお時間が・・・」
「まだ、いいじゃないかー!」
バカタレとしか言いようがありませんが、仕方ありません。
しかしオマエは7時に起きて朝飯も食えるが、こっちはホテルまで迎えに行くために自宅を何時に出なきゃ行けないと思ってるんだ?オマエがやっと起きる朝7時には出発だぞ?そのためには何時に起きなきゃいけないんだ、6時か?その前にこれからオマエをホテルまで送る人は誰だか分かっているのか?
結局バカタレは1時まで騒いでから、女のコに「明日また来るねー」とか名残惜しそうに言ってようやくクルマに乗り込みました。
もはや運転手は「こんなに遅くなるなんて話が違う、最初に聞いていた金額では承知できない」とぷんぷんです。こっそりカネを渡して、「ちゃんと明日の朝も来てくれよ」と車中でこんこんと説得します。後ろからバカタレどものいびきが聞こえます。
明日の準備を終えて家に帰ってシャワーを浴びて布団に入って時計を見たら、もう3時です。こんな調子が彼らが出張中の一週間続きます。
最終日、もはや出張者も駐在員も体力の限界です。お客さんと飲んで遅くなっても、そのあとで必ず立ち寄るくらいお気に入りになってしまったあの店に通い続ける彼ら。何が彼らをそこまで駆り立てるのでしょうか?もはや駐在員の頭の中では、早く飛行機に乗って落ちてくれ帰ってくれとそれしかありません。
しかし先日聞いた駐在員仲間の話はもっとひどく、70歳近いジジイ(有名企業OB)が深夜2時過ぎてもうお店も閉店ですというのに、ずっと女のコの手を握って離さず「オレはこの女と寝るんだー!なんとかしろー!」と店内でわめき叫んで、周囲をたいへん困らせたという話も聞きました。
はーあ。本当にイヤになります。
]]>
「おー、季節外れのバレンタイン!」とはちっとも思わなかったので、隣にいたAくんに尋ねてみると、「それはBさん(ワーカーのおばさん)の娘さんが上海にある医科大学に合格したので、そのお祝いとして、みなさんに配っているのです」と言います。
中国では何か良い事やめでたい事があるとこうやってみんなに「幸せのおすそ分け」をするのが一般的です。
私としてはとりあえず「それはお祝いの言葉のひとつも述べねばなるまい」と言いますと、Aくんは「じゃ、さっそく行きましょう!」と私を連れて生産ラインの方へ歩いていきました。白状しますが、その時点で私はそのBさんが誰なのか分かっていませんでした。私は記憶力が弱いので、ワーカーさんまで顔と名前が一致しないんですよ。
歩いていくその廊下の途中で、Aくんが一人のおばさんを見つけて「あ、あの方がBさんです」と言いました。見ると、前工程の元締めみたいな立場のおばさんでした。
「ああ、あなただったのか!(・・・ごめんね、もう3年も一緒に働いているのに名前も覚えてなくて)」
とりあえず「お子さんの試験合格おめでとう、医科大学に合格するなんてとても賢いお子さんだね」と伝えますと、照れくさそうに「そんなことありません」と言って笑っていました。
一人っ子政策が徹底している上海では、子供の進路というのは親の最重要関心事です。日本と違って高等教育機関の絶対数が少ない中国では、かなり優秀でなければ大学には入れません。
ちょうど今頃の時期は6月に受けた大学入試の合格発表が相次ぐ頃で、この時期、悲喜こもごものドラマがあちこちで見られます。
またこの時期は卒業シーズンでもあります。
ウチのAくんも先週、めでたく優秀な成績で学校を卒業しました。また今週からは営業課長の甥が夏休みを利用して営業部に実習に来ており、来週からは財務専攻の学生が一人、企業実習にやって来る予定です。
中国の卒業生たちは一斉に飛び立つ日本と違って、卒業後もいつまでもだらだらと就職活動をしながら過ごしている印象を受けますが、暑い上海の夏、社会に飛び立とうとする雛鳥たちは確実にそれぞれの第一歩を踏み出しているようです。
]]>ところで上海のメディアに流れる最高気温にはちょっとした秘密があるという噂を聞きました。それは「たとえ何度であろうとも、発表される最高気温は必ず38度以下」というものです。
「なんじゃ、そりゃ?」と思われる方に、本当かどうかは知りませんが、いかにも中国らしい理由がくっついています。
それが「気温が38度を超えると、企業は労働時間を短縮するなど予防的措置を取らなければならないので」だそうです。
つまり経済的な損失を出さないために、たとえ最高気温が40度あっても発表する最高気温は38度に抑えている、というのです。
この話の信憑性を高めているのが上海市労働社会保障局以下各局/委員会などから共同で出されている通知です。今年は7月5日付で出されていました。
その名も「この高温期間において温度を下げて防暑措置を取り、安全な生産業務を行うための通知」です。内容はまあいろいろ書いてありますが、要約すると以下のようになります。
「各企業のリーダーは最前線の職場を見てきなさい」
「職場の風通しなどをよくして従業員に清涼飲料水を配りなさい」
「気温が35度以上になったら、屋外で働く人たちは労働時間を短縮しなさい」
「気温が38度以上になったら、労働時間を短縮しなさい」
ま、エアコンがあったりする職場は関係ありませんが、それだけエアコンなんかない職場がまだまだ相当数あるということです。
「で、実際のところはどうなの?」と尋ねられれば、「企業によって、それぞれ」と答えるしかありません。
日本の職場であれば普通エアコンがあったり、屋外で働く人たちにだって休憩所があって、そこには冷たい飲み物が飲める自動販売機とかそういうものがありますが、長いこと中国にはありませんでした。そういう職場環境を持っている会社は増えたとはいえまだ十分ではないということです。
上海に限って言えば、多くの会社にも温水、冷水が出る給水器やエアコンが普及しているように見えますが、この通知が上海市当局から出されたものだということを考えると、まだまだエアコンなどがない会社がたくさんあるということなのでしょう。
実際、エアコンが効いている会社でも、昼過ぎ一番暑い時間帯にアイスクリームや冷やしたスイカを配っているところがあります。
日本の職場であれば「誰かが気を利かせて買ってきてくれたのだな」と思いますが、中国では「エアコンがなかった頃の名残だな」とノスタルジックに感じるものなのでしょうか。
日本の会社でコレをやったら、良くて左遷、悪ければ懲戒免職までありえます。いずれにしても二度と浮上できないレッテルを貼られることでしょう。
ところが中国ではこれが普通です。もっとも南米だって欧州だって日本の一部だって同じらしいと聞きますから、世界標準はこれもまた中国にあるのかもしれません。
一般に中国の購買担当者というのはそういう利益供与部分を社会的に認められているフシもあります。これまた会社の方でも、あらかじめ業者から受け取れるだろう金額を担当者の給与から差っ引いておくことがあるとも聞きますから、もうめちゃくちゃです。
日本人が目を光らせている日系企業ではまずそういうことはありませんが、ちゃんと目を光らせていないとすぐにそういうことを始めますので注意が必要です。
過去にこんな事がありました。
ある取引先の新任A部長(日本人)から「御社の代理店からきた見積書を見て欲しい」という電話を受けました。くだんの代理店は私の会社のローカル二次代理店です。代表も職員も100%中国人ですが、長年取引があります。さすがに中国の会社らしいところがありますが、あまりひどいことはしないと知っている販売代理店です。
私はいくつかの可能性について考え、A部長に「外か、私の事務所でお会いしましょう」と申し上げました。
さっそく約束の喫茶店にA部長がお見えになりました。A部長は私と会うなりカバンから一枚の見積書のコピーを取り出して言いました。
「この見積書は先日届いたものですが、この製品の価格の正当性についてお尋ねしたい。御社の製品はこんなにも高いものなのでしょうか?」
私はその見積書に目を通しました。
確かにくだんの代理店から最近正規に発行されたものであることに間違いはなさそうです。事務所を出る時、その代理店の見積書は印影も含めて頭に入れて来ていましたが、おかしなところは見当たりません。見積書に記載された番号も通常通りのものですし、そこに書かれた取引条件にも普段と違う特別な条項がある訳でもありません。
異常な点はただひとつ。A部長のおっしゃる通り、製品単価が高いのです。
私は危惧していたことが起きている可能性が高くなったと思いましたが、その場では決めつけられません。「確認して連絡します」と言い残し、いただいた見積書のコピーを持ち帰って、代理店の総経理に電話を入れました。
「ある取引先の購買担当者について尋ねたい。明日、責任者と販売担当者を私のところに寄越してくれ。」
翌日彼らからヒアリングした結果、案の定、私が想像していた通りのことが起こっていました。
A部長の部下である中国人購買担当者が、ローカル代理店の販売担当者に圧力をかけていたのです。販売担当者は最初に真っ当な見積書を提出していましたが、その後購買担当者に呼びつけられて、彼の言いなりの価格を書いた見積書を作成し、キックバックを約束させられていました。その額は取引総額の約20%、金額にして約300万円でした。
中国人同士なら問題にもならない普通の取引かもしれませんが、今回は先方の日本人幹部が直談判して来た経緯があります。私は彼らに事情を説明しました。
ローカル代理店の責任者は「ウチからこの情報が漏れたことで、取引先の購買担当者がクビにでもなれば、この業界では今後商売ができなくなる」と私に泣きつきました。
私は「事情は理解している。悪いようにはしないつもりだが、今は何も約束はできないよ」と言って彼らを帰し、A部長と再び会い、詫びて事の次第を話しました。
私の説明を聞いてA部長は絶句していましたが、やがて「あなたのお話を伺って、購買担当者について思い当たることが多くある。中国の商取引のことは聞いてはいたが、まさか自分の会社の人間が元凶とは、お恥ずかしい限りだ。」
そう言って、翌週には別件の証拠を突きつけてその購買担当者を解雇しました。別件を使ったのは、A部長が私の代理店をかばってくれたのでしょう。
さらに自ら再見積もり依頼をしていただき、今度は正当な価格で購入していただきました。
その後、その代理店の幹部(中国人)と酒を飲んでいる時にその話が出ました。「A部長の件はうまくいって良かった」と私が言うと、代理店の幹部は、あなたはまだ何も分かっていないねという顔をして、「いいえ、解雇されたのは下っ端です。あのキックバックの指示をした張本人は、まだあの会社にいますよ」と言いました。
ちょっと考えて、やがてその張本人というのがA部長の会社の日本人総経理(社長)自身であることに気づき、今度は私が絶句しました。
]]>
まず会議がある日は、掃除のおばさんがテーブルの上をきれいにして・・・フルーツやお菓子を並べます(笑)。
のっけからなんだかよく分かりませんが、バナナや林檎、スイカやみかんといった季節の果物がいつも並んでいます。そのほかには殻付きのピーナッツやピスタチオ、ひまわりの種などのナッツ類がどっさり置かれています。テーブルの上には当然のように灰皿が並べられ、お湯がたっぷり入ったポットも2本ほど置いてあります。
さて会議開始時間になりました。席についているのは日本人だけです(笑)。みんなどこに行っているのでしょう?仕方なくお茶を飲み、フルーツに手を伸ばし、バナナなんかをむしゃむしゃやっていると定刻5分過ぎくらいからみんながわらわらとやってきます。
手には小さな手帳と飲みかけの湯飲みと吸いかけのタバコ。資料なんか誰も持っていませんが、メモ用紙すら持っていないバカもいるので、まあ、そのくらいはオッケーです。
席に着くなりわいわいがやがやと談笑が始まります。日本のようにこれからの議題についてどう発言してどう会議をリードしようか、などと腕を組んで思いをめぐらすような輩はここにはいません。
なにも考えずに目の前にバナナがあればその皮を剥き、おいしければ「おお、このバナナはうまいな」と発言します。
定刻を10分も過ぎた頃、ようやく総経理がやってきてみんなおしゃべりをやめました。しかし静かになったわけではありません。どこかの誰かの口の中でバナナが咀嚼される音が聞こえます。
総経理が厳かに会議を始める旨を宣言しますが、さっそく大あくびをしている奴が目に付きます。しかも「あーあ」とか声を出して。
今日は定例の月度報告です。部門別に先月の活動内容と前回与えられた課題の進捗状況について報告し、ここで話し合うべき問題点と今月以降の見通しについて述べてもらいます。
まずは総務部長からです。
「会社の絶え間ない発展と・・・」報告が始まると同時にタバコを吸う人間が互いにタバコを投げ合い、あちこちで紫煙が立ち昇ります。吸わない人のところには乾燥梅かなんかの瓶が回されていて、おばさんたちが口の中でもぐもぐやっています。
総務部長の報告が空しく響きますが、要約するとISO9001の書類を整えたこと以外は何もやっていないようです。ちなみに私のメモによれば、彼の仕事は先月も先々月もISOだと報告されています。ふーん、ISOってそんなにたいへんなんだ。
次に技術部長、生産部長、開発部長、品質管理部長の順に報告が続きますが、みんな同じことを言うので、誰が何の仕事をやったんだかよく分かりません。
「この仕事は誰がやったの?」と訊くと、褒めてもらいたいのか「オレがやった」「私が調べた」と口々に言いますが、同じことを問題が起きてから訊くと、誰もしていないことになるから不思議です。
今回ひとつだけ分かったことは、先月の社員旅行のビデオをDVDに落として配布したのは開発部長だということです。「DVDにすることによって、永遠の記念になる・・・」とか通訳がそのまんま訳していますが、そういうことはここで報告しなくてよろしい。
続いて営業部長が営業報告をしますが、彼女の報告は必ず「売れないときは会社のせい、売れたときは私のおかげ」となります。今回は「私のおかげ」だそうで、まあ、よかった。
今日は財務部長が欠席ですが、そういうときに限って普段の月より管理費用が多かったりします。どうせまたおかしな操作をしているんだろうけど、あとで絞ってやろうと心に誓い、「管理費用」とノートに書いてぐりぐりに丸で囲んでおきました。
それから副総経理が自身担当している状況についての報告と総括を行います。彼の総括は常にダメ半分、良し半分ですが、本当はダメダメダメダメダメダメダメダメと言いたい気持ちをぐっとこらえているのです。良しと褒めてやる部分を探すのは、会議準備時間の半分を超える困難な作業です。
そんな苦労をしてまで無理に褒めてやっているのに、当の本人がどこ吹く風で、口の中をハムスターさながらにひまわりの種で膨らませながら、隣の奴に話しかけているのを見ると、物を投げたくなる衝動にかられます。
最後に総経理のお説教タイムです。
中国人らしく大きな声で会社の将来について危機感をあおりますが、幹部の半分はかみ殺していないあくびをしており、残りの半分はリスのようにピーナッツをぽりぽりやっています。タバコを吸う人間はまたタバコを配りあっており、その距離が遠いため上半身を乗り出してタバコを投げ合い、目の前を何種類ものタバコが同時に飛び交うさまは壮観です。
話を聞いていると、特に今回は生産部長ががんばらなくてはならないようですが、当人はみんなの湯飲みにお湯を足して歩いています。「謝謝」、「不用謝」。ちょっと待ておい。
総経理の話がだいぶシリアスになってきました。話しているうちにマジでやばいと思うようになってきたのでしょう。声をからして「みんなの努力が必要なんだ!」と格好よく言い放ったいいところで、総経理の携帯がマヌケた音楽を鳴らします。
いいところで中断されたのがよほどアタマにきたのでしょう、「ウェェェェイ?」いつもより長く伸ばして電話に出ます。ところが電話を掛けてきた相手が大物だったようで、「ニイハオ」と「シェイシェイ」を連発しまくりです。あきれ返った部下どもの目の前で、しまいには身を捩じらして「エヘヘヘ」と愛想笑いです。
やがて電話が切れると真面目な顔に戻りましたが、もはや何をしゃべっていたのか覚えている者は一人もいません。
そんなこんなで総経理が言いたいことを全部言い終わると、月に一度のお説教タイム、じゃなかった会議は終わりです。みんな晴れやかな顔をしています。まるで困難な仕事を全員の力でやりきったかのように、椅子から立ち上がり、顔を見合わせて互いの肩をたたきます。
さわやかな笑顔をとともにみんなが去っていくと、テーブルの上にはピーナッツの殻やバナナの皮が散乱しており、灰皿の上はタバコの吸殻でいっぱいです。
私はどうしてこの会社が利益を出しているのかという難しい問題とともに、ひとり取り残されます。
あ、今電気が消えました。
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ところで、毎日暑い上海です。
毎年この頃になると暑さに負けた庶民のおじさん、おばさんたちが羞恥心と引き換えに凉を求めて薄着になります。
具体的に言うとおじさんはパンツ一丁、おばさんはパジャマで外出します。例えば朝食の油条を買いに行くとか、夕方にちょっと近所のスーパーまで日用品を買いに行くとか、そういうときです。
夜は夜で家の中は暑いのでしょう、道端に段ボールなどを敷いて一家揃って眠りこけています。おばあさんから赤ん坊まで。その横を酔っぱらった数人の日本人サラリーマンがネクタイを締めて上着を抱えて歩く図はなかなかシュールです。
昼間、最高気温が38度を超えるような休日の下町、まず男どもは元気よく上半身裸です。シャツの裾をまくり上げてへそ出しというのもありますが、ステテコ姿のおじさんもよくうろうろしています。
昨年はどこかのNGOが街中で無料Tシャツを配っていました。胸には「服を来て街を歩こう」とかなんとか。アレには大笑いさせていただきました。
ところで、別に珍しくもない中国の男どもの裸を見ていると、ひとつ気がつくことがあります。
それは、みんな、揃いも揃って「毛がないこと」です。
日本人の男性で、胸毛が全くないというのはどちらかというと珍しい方でしょう。みんな多かれ少なかれ胸毛くらいあります。なかにはおへその辺りまでぼーぼーで、「ヒデキ感激」状態という方も珍しくはありません。
また腕にも毛があるのはあたりまえです。私はそんなに濃い方ではないと思っているのですが、夏場に腕を出している状態で中国人の隣でお茶など飲んでいると、よく腕にうっすらと生えた毛に視線が集中していることに気がつきます。会議中、会社の技術部長(女、45歳)に毛を引っ張られたこともありました。
そこで、中国人です。
本当に、みんなつるつるなんです。もちろん脇毛とかそういう毛は生えていると思いますが、道行くおじさんがたとえ上半身裸だからといって、「ちょっと脇毛生えているか見せてくれよ」と言う勇気も気力も趣味もさらさらありませんので、確認したことはありません。
あ、でも中国人の女性のぞんざいな脇毛処理の結果を地下鉄などで見たことがありますので、たぶん男性も生えていると思います。
ちなみに日本人の彼氏のいる、ある中国人女性の胸毛に関するコメントです。
「最初はびっくりした。気持ち悪かった。そのうち慣れた。今はないと寂しい。」
なんだかわかりません。
日本人駐在員家庭には50%以上の確率でいるのではないでしょうか。欧米系駐在員家庭なら100%近いでしょう。彼らはアーイーを雇うことで「自分の時間を買い」ますから。我が家では以前週2回来てもらっていましたが、ウチのかみさんの「やっぱりもったいないわ」のひと言で今はいません。
ただ夏休みになると私を残して家族は一ヶ月ほど帰国しますので、その間以前来ていたアーイーさんにまた働いてもらうことになりそうです。ちなみに彼女の給料は午前8時〜11時の3時間で1回50元(700円)ですが、かなりの高給取りの部類です。なにしろ香港人や台湾人の太太はこの給料を聞いたら口を揃えて「高いー!」と言いますから。
もちろんもっと安い人もいるにはいますが、私の場合、お手伝いさんとは言え家の中に全く知らない他人が入ることに抵抗があったことと、中には手癖が悪くてずっと見張ってなきゃいけない人もいると言われたりしたので、値段は高くても、そういう必要がない身許のしっかりした人を紹介してもらったという経緯があります。
彼女は40歳代の上海人で某有名日系マンションで清掃の仕事をしているベテランです。当然日本人に慣れていて、日本人の求める清潔レベルを熟知しており、買い物やクリーニング、後片付けも安心して任せられます。
また彼女と娘はいいコンビで、よくふたりで何やら楽しげに話しています。幼い頃の娘は両親のどちらもいないと泣きわめいたものでしたが、アーイーとなら不思議と留守番ができました。今でもアーイーは、彼女の職場にあるプールに通う娘を見つけては同僚たちを捕まえて、「このコが私の働いていた家のコよー、かわいいでしょう!」と自慢げに言ってくれますので、家族にとっては良い選択だったと思っています。
さて彼女たちを雇うことは別に一部特権階級だけの贅沢ではありません。ごく普通の家庭でも雇います。結構いい歳こいたおばあちゃんが時間が余っているので自分の小遣い稼ぎにすることもあります。
中国人の一般家庭で雇うレベルだと時給5元(70円)くらいです。自分が働きに出ている間に洗濯をしておいてとか掃除をしておいてとかワリと気軽に使っています。
さすがに中心部では少なくなりましたが、上海人のローカルアパートや長屋は非常に濃密な付き合いが残っており、隣近所とは大きな家族のようになっていることが多いのです。夕涼みなどでみんなが家の前に椅子やらテーブルやらを出しては、だべっていますので、普段見かけない怪しいヤツが来てきょろきょろしていたら、たちまち警戒警報発令です。
そういう狭くて濃いコミュニティの中ですから、例えばどこそこのおばちゃんが今仕事を探しているとか、小遣い稼ぎをしたいとかという情報は長屋全体にすぐさま伝わり、はたまたどこそこのおばちゃんが働いている間のアーイーを探しているという情報とすぐさまマッチングされます。
情報が伝わる間に値段についてもおおよその金額が周囲の監視の中行われますから、お互いあまりにも相場からかけ離れた要求はしにくいという便利な一種の評議員制度が確立されています。
また定期的でなくても彼女たちは来てくれます。例えば「土曜日の夜はパーティをするわ、腕によりをかけて料理をたくさん作るつもりだけど、その後の後片付けのことを考えると憂鬱なの」という時こそ、アーイーの出番です。あなたがひと言、「日曜日の午前中、洗い物がたくさん出るから来てくれない?」と頼めば、時給10元でぱっぱっと片付いてしまいます。あなたは寝っ転がってTVでも見ていればいいのです。
ほかにも彼氏やダンナさんの会社の人たちが来るのに「なんだ、この部屋の汚さは?!」というときも便利です。電話一本でアーイーを呼んで、「後はよろしく〜。」と買い物に出かけましょう。帰って来る頃にはもうすっかり片付いているはずです。
もしお目当てのアーイーが希望の日時にいなかったら、ローカルコミュニティ以外にもアーイーネットワークで、彼女は別の人を紹介してくれるかもしれません。なんにしても中国では、欲しい時に欲しい人材がパッと出てくるかどうかのコネクションは人生を左右する重要な財産です。
]]>じゃ、また中国以外のことを。
先日TheBoxcarさんのblogを読んでいたら、『Musical Baton』なる言葉が出てきました。「最近よく聞くけどなんだろう?」そう思いながら読み進めていって、「なるほど、楽しそうだなー」と思いました。どうやらTheBoxcarさんもそう感じられたようです。
Musical Baton/レトロ風味
なんだか楽しそうだったので、ナシウタさまに無理を言ってミュージカル バトンを頂きました。
まず、Musical Baton については以下のリンク先を参照とのことです。
MUSICAL BATON
では回答にうつります。
『Musical Baton』にもいろいろあるようですが、私はTheBoxcarさんからバトンをいただきましたので、彼が回答した以下の五つの質問に答えたいと思います。
1.コンピュータに入ってる音楽ファイルの容量
2.今聞いている曲
3.最後に買ったCD
4.よく聞く、または特別な思い入れのある5曲
5.バトンを渡す5人
1.コンピュータに入ってる音楽ファイルの容量
4.30GB / 1023曲
2.今聞いている曲
Get Yourself Together / The Jam
3.最後に買ったCD
ムーンライダーズ / 1976-1981コンプリート・コレクション
クール~12インチ・ダンス・ヴァージョン~ヒッツ・オブ80´S
実は私は2年前にこれに乗ったことがあるのですが、その時は降りた直後に記憶喪失になりました。そして日曜日、記憶を失っていたことをいいことに再びこれに乗ってしまいました。今は反省しています。
まず最初に分かりにくい入り口を探しましょう。特に浦東側は分かりにくいところにあります。看板を頼りにうろうろするとすり鉢状に凹んだ小さな広場があり、その底に入り口があります。
ちょうど両親と子供ふたりという外人さん一家が出てくるところでしたが、ベビーカーに乗った赤ん坊を含む全員が微妙な表情を浮かべています。一抹の不安が頭をよぎりますが無視して中に入りましょう。
エスカレーターを降りるとそこは別世界です。俗世界では切符売り場とも言います。
別世界はガラス張りになっており、ギンギラギンの照明でまぶしいくらいに光があふれています。そんな光を背におばさんがひとりこちらを向いていますが、拝んではいけません。
確かにあまりの光量にもしかするとこのおばさんは仏法世界の守護者じゃねーのかとも思うかもしれませんが、「多少銭」と訊くと、ちゃんと「イッパリンンー」とか上海語をしゃべります。
ところで、おとな3人とこども1人の片道切符を求めると、105元!と言われました。片道4人で105元!ですか?!
浦東と浦西を結ぶ移動手段としては渡し船なら5角です(1元=10角)。もうすぐ値上げされると聞いた地下鉄の初乗り運賃は2元で、もちろん黄浦江は越えられます。いったいどんなサービスが展開されるのでしょうか?足マッサージ付きか?!
とにかく切符を買って無愛想な切符モギのおばさんの前を通って、薄暗い中を階段で降りていきます。すぐ横にはエスカレーターがあるのですが、それは上り専用で、しかも誰も乗っていませんでした。もちろん前後にも私たち以外は誰もいないので、なんだかドキドキします。
下まで降りるとこれまたギラギラの世界が拡がっていました。安っぽい未来映画のアトラクションのようです。そこは次々とやってくるゴンドラが180度ターンするところで、無愛想な顔をしたおねえさんがうんともすんとも言わず乗り場に突っ立っています。
エスカレーターからゴンドラまでの通路にはガチャポンが2台置いてありましたが、これは明らかに待ち時間に飽きた子どもたちから金を巻き上げるもくろみで置いたものです。失敗していますよ、市長。
私たちはゴンドラに乗り込みました。見た目も中もスキー場の大きめのリフトと言った風情です。もちろん前のゴンドラは空のまま出発し、私たちのゴンドラは貸し切り状態で、後ろのゴンドラには誰も乗り込みませんでした。ゴンドラの前には暗いトンネルが奥へと伸びています。ゴンドラの中はこんな感じ。
ゴンドラの扉が閉まったら出発です。
出発すると暗かったトンネルの中の電飾がいっせいに点灯します。色とりどり点滅するものもあり、かなりギラギラしています。
行く手の正面はなにやら水中を魚が泳いでいるようです。「おお、もしかして水中を通るのか」と一瞬思いましたが、そんなわけありません。実はただのはったり用スクリーンで、近くまで寄るとスクリーンが上がり、向こうから無人の対向車が申し訳なさそうに姿を現しました。
はったりスクリーンの次はな??らと揺れています。「昆布かな?」と思いましたが小汚い風船人形でした。ラクガキのようなピエロがバンザイしながら笑っています。「オレが小日本だからこういう嫌がらせをするのか?」とちょっとムッとしました。
さらに進むと今度はマグマ地帯だそうです。なんでマグマだとわかったのかというと、そう言っていたからです。でなければわかるわけないでしょう!・・・すみません、つまらないことでキレてしまいました。
トンネルの内側全体が真っ赤なライトで彩られ、それがピカピカと点滅します。もちろん目はチカチカします。設計者の狙いはポケモンのように子供を卒倒させることですが、そもそも中国人の子供はこんなものに乗りません。
さらにダメ押し気味に「ここはマグマの世界だー」というとんちんかんなアナウンスが聞こえますが、これは設計者の狙い通り、ゴンドラ内は失笑に包まれます。
やがてゴンドラは終点に着きます。ゴンドラに乗り込んでからここまで10分間もかからなかったでしょう。
これまた無愛想な顔をしたお姉さんが私たちを下ろしてくれました。もちろんこちらから乗り込むサイドにも、もうひとりお姉さんが立っていますが、無愛想に向こうを向いたまま突っ立っているだけです。
降りた直後には各人開いた口がふさがらなくなっているので、しばらくの間みんな無言になります。
これから乗ろうとするバカどもが向こうから賑やかにやって来ますが、所詮あと10分間の命です。向こうに着く頃にはさっきすれ違った外人一家のようになっているでしょう。
このようにお役人がそのノーセンスを十分に発揮し、数え切れないほどの電飾を用い、貴重な電力を湯水の如く使い、無愛想な女専門の失業対策をした結果、他に類を見ない楽しいアトラクションができ上がりました。
日本なら発案者は雲隠れし、口を出した政治家は黙り、プロジェクト責任者のクビが替わって、また税金がちょっと高くなるだけですが、ここ中国では誰も困りません。さすが共産主義。
]]>日本でもすっかり定着した感のある『油そば』ですね。上海では昔からある珍しくもないフツーの庶民の食い物です。ちなみに私がこれを注文すると同行している上海人は必ず笑います。なんでだよ?
屋台なんかで作り方を見ていると、とても簡単。
まず万能ネギをかなり多めの長め(5~8cm)に切って、これをたっぷりの油で軽く焦げるまで揚げ炒めて、ネギの香りを十分に油に移してから、火を止めてこのネギ香油が冷めるのを待ちます。
ここで屋台は麺を茹でるのにも1個しかない中華鍋を使いますから、このネギ香油は別の容器にとって温度を下げます。
油の温度が下がるのを待つ間に、麺を茹でます。
茹で上げた麺はしっかり湯切りします。しっかり、ちゃんと湯切りするのがおいしく作るコツですが、そこは麺類ですから、もたもたすることだけは御法度です。
おまけに中国の麺はなんだかぼそぼそしていて味もコシもないので、試したことはありませんが、日本の麺で作った方がおいしいかもしれません。
麺を茹でているうちにネギ香油の温度が下がりますから、これに醤油と味の素を入れて味付けします。これがつけダレと言うか、かけダレになるわけです。
あとは深皿に盛った麺の上から、この調味油をかけて食べるだけです。中国の麺はこの調味油をかなり吸いますので、慣れないうちは調味油を多めに作りましょう。
値段は3元(約40円)くらいから。
庶民の食い物葱油拌面もちょっとしたお店の中で食べるような高級品(と言ってもたかが知れてる)になると、調味油の中に小さな干しエビや鷹の爪が入り、ほんの少し黒酢やスープを加えて味に奥行きを出しているところがあります。それでも値段は10~15元程度です。
しかしそもそも麺を食わせる料理のくせにちっとも麺がうまいと思ったことはありません。
しかもとっとと食べないと(1)冷めるわ、(2)麺は乾燥してきてくっつくわ、(3)底の方は油がしみ込んでくるわ、(4)もともと油がしつこいので飽きがくるわとそういう食べ物です。
でも注文してしまうんだな、なぜか。
写真は撮った時にー。
例えば私なら「日本人」「男性」「会社員」・・・となります。
何らかのカテゴリに入る人間は何らかの似たようなところがあるかもしれませんが、全く一致するというわけではありません。同じ利害関係にあるかも知れませんが、その場合でも考え方や行動が全く一致するというのはやはり稀です。
しかしカテゴリが集団となって、集団がなんらかの意思表示をしたり行動をとることがあります。外交もそのひとつです。現在、日本と中国も様々な問題を抱えていますが、これらは集団同士の問題で、決して個人同士の問題ではありません。
集団と個人は異なるものですが、集団を形成するのが個人である以上、個人は何らかの関わりや繋がりを自分の属する集団に対して持っています。にも関わらず集団は個人の意見と異なる意見を持つことがあります。
国家を考えたとき、日本は民主主義国家ですから個人の意見を選挙という手段を通じて国家の意見に反映させることができますが、中国では国家の意見に個人の意見を反映させる手段はあまりありません。おやおや、日本人ならやはり選挙には行った方がよさそうですよ。
ところでこれは極めて真っ当な論理ですが、それ以外にも中国の国家としての意見が中国人個人の意見を如実に反映しているものではないなと感じる理由があります。
それが日本人と中国人の集団帰属意識の差です。
集団帰属意識がどのように育まれるかは知りませんが、例えば学校でのそれを考えた場合、同じ県より同じ市、同じ市より同じ学校、同じ学校より同じクラスと考えていけば、より小さく、経験や知識が共有できて、一緒にいる時間が長く、相互理解が進んだ集団ほど帰属意識が高くなるように思えます。
みんな似たような知識や経験を共有しているせいか、日本人は比較的集団帰属意識が高い国民です。
国に対してはいざ知らず、例えばサラリーマンの会社に対する忠誠心はたいしたものです。会社の立てた方針に私の考えは違うと逆らう人間はあまりいないでしょう。もし逆らったりすればそれを許さない日本社会では周囲から白い目で見られること請け合いです。
それに対して中国人ほど集団帰属意識が薄い国民はいないでしょう。
ほとんどの個人の意見は集団の意見と異なります。国家どころかあらゆる組織、会社でも地域でも共産党でもどこでも一致していることはあまりないと感じます。会社に対する忠誠心もあまりなく、またそれを咎める風土もありません。ほかにも我関せずという人も多くいて、そのまとまりのなさはまさに孫文が嘆いた「砂のような」国民です。
そんな中国人たちはおそらく日本人を狭い地域の小さな集団として見ているような気がします。中国は広大な国だから意見の統一なんてできっこない。でも日本は小さな国で民族もまあひとつみたいなものだから意見の統一ができるんだろうね、という論です。
中国人と付き合っていると、いかに彼らが集団をアテにせず、己自身だけを頼りに、世の中を渡っているかということを思い知らされます。
我が身を振り返れば、いかに『会社』など帰属する集団組織の考えはどうなっているのかを気にする自分がいるのです。
彼は今年45歳で、日本人、中国人を問わずあまり名前を知ることのない中小企業に勤めています。彼と中国との関わりは30台も半ば過ぎてから初めて経験した海外勤務、上海駐在でした。
最初はもの珍しさが先行して面白くて仕方がなかった彼でしたが、そんな彼に上海はだんだん冷たい本性を現してきました。
中国語はまったくできないにも関わらず、会社の中ではろくに日本語ができる人材がいません。何をするにも、たったひとりの通訳兼アシスタントを通じなければなりません。これが顔がかわいいだけの性悪女で、きちんと通訳されているのか不安で仕方ありません。
また彼は日本では所詮課長職ですから、当然家から会社までの通勤はバスと地下鉄です。もちろん本社がうるさいので接待費や交際費は使えません。カラオケ屋にはもう2ヶ月も行っていません。
合弁会社から出る給料は人民元で、本社からの日本円給与は1/3にカットされました。そのくせ日本だったら会社持ちが当然の接待やら交際やらが増えてそのほとんどが自腹です。その上、海外駐在員なんて全社を見渡しても自分ひとりしかいないので、海外福利厚生なんて誰も分からず、故郷を懐かしむ妻や孫の顔を見たがる老いた両親のために自費帰国するので、生活はずいぶん厳しくなってきました。
たまに彼が仕事で帰国したいなと思っても、上司の「経費削減」の一言でペンディングされます。年に2回くらい帰国できるでしょうか。駐在2年目で日本に滞在したのはわずか2週間前後でした。もちろん東方航空か中国国際航空利用でマイルなんてありません。1年もしないうちに中国人スチュワーデスの横柄な態度に慣れることができ、あれがサービスのつもりだったのかと理解することができました。もちろん日本滞在中は国内出張扱いになりますから、出張手当は一日3千円です。
彼は当初3年の約束で上海に来ましたが、1年目が終わる頃、会社に言いました。
「もう帰国させてくれ」
後任がいないからダメとのことでしたが、彼は総務だけにまかせてられないと、自ら少ない日本滞在期間を活用して後任探しをしました。結局見つからなかったため、彼はさらに5年も上海駐在生活を送ることになりました。
さて上海駐在生活も6年目が終わる頃、彼は後任を得てようやく日本に帰ることになりました。合弁会社初の上海駐在でしたが、日中経営主導権の奪い合いと売上凋落の影響を受けて、中国側投資元は誰も送別会に参加しません。数少ない従業員たちだけが「再見、再見」と言ってくれます。みんなもがんばったんだなと思うと、なんだか胸に熱いものが込み上げてきて「よーし、みんな!二次会行こうか!」と誘いましたが、誰も付いてきませんでした。
帰国後、彼は地方にある工場に戻り、その後駐在していた彼の後任がノイローゼとなって帰国したため、ピンチヒッターとしてまた上海に戻ってきました。
誰に会っても「高崎工場から来ました」と名乗ります。みんな口を揃えて「どこ、それ?」
生産工程と品質管理のことを語らせればどこの誰にも負けません。しかしそんな日本の工場のことを話す彼のことを中国人はハナから煙たがります。
おまけになんだか仕事がうまく行きません。日本ではなにか問題があったら、会議をして対策すればだいたいはうまくいっていたのに、中国じゃその報告すら上がってきません。日本で会議ばかりしていたおかげで中国人は問題を報告をしないということもすっかり忘れてしまっているようです。
「もう少し会社に言いたかったんだけど・・・。」
本社は近年の採用手控えからくる若手不足と厳しい競争に生き残るためのコスト削減であえいでおり、本社工場へ半製品を納入している彼の合弁会社にも厳しいコストダウンが命じられました。品質管理工程を削って、納入業者を換えれば現状より大幅なコストダウンができると主張する、最近入ってきた中国人資材担当者の説明を受けて彼は決断しました。
「とりあえず、オマエはクビだ。」
また彼にはもうひとつ、厳しいコストダウン要求を受けて決断をしたことがありました。それは家族を日本へ戻すことです。
「とにかく固定費が下がらない。今すぐ削れるのは社宅になってる自宅の家賃くらいだ。」
「かと言って、ローカルマンションで暮らすのは妻や子どもの友人たちの見る目もあるだろう。」
「涙を飲んで別居するしかない。妻子も日本にいた方が幸せだ(と思う)。」
ただひとつ、彼の苦労を分かってないものがありました。それは本社です。本社はプレッシャーをかけ続けます。
「コストダウンはどうなっている。利益が出ていない。品質低下が甚だしい。」
彼は急遽帰国し、役員会で言葉を尽くして努力していることを伝えましたが、結局本社の理解は得られず、管理報告書の項目が二倍に増え、権限は半分になりました。何をするにも本社にいる上司の承認が必要です。
「同僚にもすっかり同情されてね。」
上海に戻ってきた彼は黙って奥さんと子どもたちを日本に帰し、ひとりでより小さなアパートに移り、毎朝一番に出勤するようになりました。
しかし彼が帰任した当時頼りにしていた中国人管理職は全員転職しており、当時苦労して作り上げたラインは見る影もありません。ほんの1年前まであれほどきちんと整理されていた工場が、内部にゴミと私物が散乱し、在庫と帳簿の数が合わず、勤務時間中にも関わらずあちこちで中国人ワーカーがタバコを吸い、新聞を拡げる姿を見て、
「ゴミを拾っていたら、涙がでちゃった。」
私も彼を知っているひとりでしたので、彼のアパートを訪問する機会を得ました。
「これからどうするんですか?」
「今までやってきたことを思い出し、一から出直すしかない。」
彼の住居になっているアパートには奥さんが洗ってくれたのでなぜかもったいない気がすると言うスーツケースに入ったままの下着類。デスク兼食卓の上には散乱した資料と灰皿いっぱいの吸い殻の山がありました・・・。
・・・私は彼とはそれっきり会っていません。何かの折りに彼を知っている人と話をして、その消息を聞きました。
「あの人は、なんとかやっているようだよ。」