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日本忘れがたく

 またひとり日本人が上海に舞い戻ってきました。

 彼は今年45歳で、日本人、中国人を問わずあまり名前を知ることのない中小企業に勤めています。彼と中国との関わりは30台も半ば過ぎてから初めて経験した海外勤務、上海駐在でした。

 最初はもの珍しさが先行して面白くて仕方がなかった彼でしたが、そんな彼に上海はだんだん冷たい本性を現してきました。

 中国語はまったくできないにも関わらず、会社の中ではろくに日本語ができる人材がいません。何をするにも、たったひとりの通訳兼アシスタントを通じなければなりません。これが顔がかわいいだけの性悪女で、きちんと通訳されているのか不安で仕方ありません。
 また彼は日本では所詮課長職ですから、当然家から会社までの通勤はバスと地下鉄です。もちろん本社がうるさいので接待費や交際費は使えません。カラオケ屋にはもう2ヶ月も行っていません。

 合弁会社から出る給料は人民元で、本社からの日本円給与は1/3にカットされました。そのくせ日本だったら会社持ちが当然の接待やら交際やらが増えてそのほとんどが自腹です。その上、海外駐在員なんて全社を見渡しても自分ひとりしかいないので、海外福利厚生なんて誰も分からず、故郷を懐かしむ妻や孫の顔を見たがる老いた両親のために自費帰国するので、生活はずいぶん厳しくなってきました。

 たまに彼が仕事で帰国したいなと思っても、上司の「経費削減」の一言でペンディングされます。年に2回くらい帰国できるでしょうか。駐在2年目で日本に滞在したのはわずか2週間前後でした。もちろん東方航空か中国国際航空利用でマイルなんてありません。1年もしないうちに中国人スチュワーデスの横柄な態度に慣れることができ、あれがサービスのつもりだったのかと理解することができました。もちろん日本滞在中は国内出張扱いになりますから、出張手当は一日3千円です。

 彼は当初3年の約束で上海に来ましたが、1年目が終わる頃、会社に言いました。
 「もう帰国させてくれ」
 後任がいないからダメとのことでしたが、彼は総務だけにまかせてられないと、自ら少ない日本滞在期間を活用して後任探しをしました。結局見つからなかったため、彼はさらに5年も上海駐在生活を送ることになりました。

 さて上海駐在生活も6年目が終わる頃、彼は後任を得てようやく日本に帰ることになりました。合弁会社初の上海駐在でしたが、日中経営主導権の奪い合いと売上凋落の影響を受けて、中国側投資元は誰も送別会に参加しません。数少ない従業員たちだけが「再見、再見」と言ってくれます。みんなもがんばったんだなと思うと、なんだか胸に熱いものが込み上げてきて「よーし、みんな!二次会行こうか!」と誘いましたが、誰も付いてきませんでした。

 帰国後、彼は地方にある工場に戻り、その後駐在していた彼の後任がノイローゼとなって帰国したため、ピンチヒッターとしてまた上海に戻ってきました。
 誰に会っても「高崎工場から来ました」と名乗ります。みんな口を揃えて「どこ、それ?」
 生産工程と品質管理のことを語らせればどこの誰にも負けません。しかしそんな日本の工場のことを話す彼のことを中国人はハナから煙たがります。
 おまけになんだか仕事がうまく行きません。日本ではなにか問題があったら、会議をして対策すればだいたいはうまくいっていたのに、中国じゃその報告すら上がってきません。日本で会議ばかりしていたおかげで中国人は問題を報告をしないということもすっかり忘れてしまっているようです。

 「もう少し会社に言いたかったんだけど・・・。」
 本社は近年の採用手控えからくる若手不足と厳しい競争に生き残るためのコスト削減であえいでおり、本社工場へ半製品を納入している彼の合弁会社にも厳しいコストダウンが命じられました。品質管理工程を削って、納入業者を換えれば現状より大幅なコストダウンができると主張する、最近入ってきた中国人資材担当者の説明を受けて彼は決断しました。
 「とりあえず、オマエはクビだ。」

 また彼にはもうひとつ、厳しいコストダウン要求を受けて決断をしたことがありました。それは家族を日本へ戻すことです。
 「とにかく固定費が下がらない。今すぐ削れるのは社宅になってる自宅の家賃くらいだ。」
 「かと言って、ローカルマンションで暮らすのは妻や子どもの友人たちの見る目もあるだろう。」
 「涙を飲んで別居するしかない。妻子も日本にいた方が幸せだ(と思う)。」

 ただひとつ、彼の苦労を分かってないものがありました。それは本社です。本社はプレッシャーをかけ続けます。
 「コストダウンはどうなっている。利益が出ていない。品質低下が甚だしい。」

 彼は急遽帰国し、役員会で言葉を尽くして努力していることを伝えましたが、結局本社の理解は得られず、管理報告書の項目が二倍に増え、権限は半分になりました。何をするにも本社にいる上司の承認が必要です。
 「同僚にもすっかり同情されてね。」

 上海に戻ってきた彼は黙って奥さんと子どもたちを日本に帰し、ひとりでより小さなアパートに移り、毎朝一番に出勤するようになりました。
 しかし彼が帰任した当時頼りにしていた中国人管理職は全員転職しており、当時苦労して作り上げたラインは見る影もありません。ほんの1年前まであれほどきちんと整理されていた工場が、内部にゴミと私物が散乱し、在庫と帳簿の数が合わず、勤務時間中にも関わらずあちこちで中国人ワーカーがタバコを吸い、新聞を拡げる姿を見て、
 「ゴミを拾っていたら、涙がでちゃった。」

 私も彼を知っているひとりでしたので、彼のアパートを訪問する機会を得ました。
 「これからどうするんですか?」
 「今までやってきたことを思い出し、一から出直すしかない。」

 彼の住居になっているアパートには奥さんが洗ってくれたのでなぜかもったいない気がすると言うスーツケースに入ったままの下着類。デスク兼食卓の上には散乱した資料と灰皿いっぱいの吸い殻の山がありました・・・。

 ・・・私は彼とはそれっきり会っていません。何かの折りに彼を知っている人と話をして、その消息を聞きました。
 「あの人は、なんとかやっているようだよ。」


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くま

Tobermory さん
なんだか、コメントするのが心理テストに答えを書いているような気になります。
この方は、自分と近い立場に居るんだなって思いました。
というより、自分より厳しい環境です。
年齢も同じ位だし。。。応援いたします。
きっと、この方は、今の仕事でなくても、良い仕事をするんだろうと思えました。
是非とも、結果を積み上げて、家族との幸せを取り戻してもらいたいです。
既に、この会社にとって、この方は、居なくてはならない存在かと思いますが、本社でそれに気付いている方が何人いるんでしょう?もしいないとすると、会社としてはヤバイですね。

一つの記事では、何気なく通り過ぎたかもしれませんが。。。
この記事が加わることで、上手く表現できないのですが、心に刺さるものがありました。オイラは、自分を信じているので、この方を応援しました。自らももっと頑張らねば。。。

出張、お疲れ様でした。今日は、ゆっくり休めるといいですね。
by くま (2005-06-24 20:20) 

sanbonmatsu

今回と前回のログ、どちらも考えさせられます。
日本で仕事をしている当方には、気が付かない出来事です。
このような境遇の方が沢山いると思うと心が痛みます。
Tobermoryさんも体に気を付けてがんばってください。
by sanbonmatsu (2005-06-24 20:38) 

Tobermory

くまさん、こんにちは。今、上海の事務所に戻ってきました。Unpackingしています。この後出張で来ている連中を連れて晩ご飯を食べに行きます。お言葉はありがたいですが、まだちょっとゆっくりできません。
さて、私自身の置かれた立場もくまさん同様両者の中間で、どちらかと言えばこちらの方に近いでしょうか。彼は立派な本物のビジネスマンで、本社のプレッシャーはあるものの、彼にものが言える人間は多くありません。彼の会社には欠かせない人材であることは本社も十分承知しているはずです。
海外駐在員が花だった時代は遠い過去のこと。今は普通や普通以上に苦労を重ねている日本人が多いことを知ってもらえればと思います。
by Tobermory (2005-06-24 20:39) 

Tobermory

sanbonmatsuさん、こんにちは。やや誇張が入っていますが、どちらも上海の現実の一部分です。これだけ多くの日本人が上海で働いていると、いろいろな方がいらっしゃいます。私もまだまだがんばらねば。優しいお言葉、ありがたく思います。
by Tobermory (2005-06-24 20:43) 

あおい

こんばんわ。
私には感想を言う資格がないと思いましたが、ご家族のためにも・・・

こういう方、中国各地に多いのでしょうね。
本社はこの方の「欠かせない人材度」をやはりわかっていないのだと私は思います。でなければ、くまさんのおっしゃるとおり「ヤバイ」です。
言葉を勉強する気にもなれないでしょうが、それが解決方法の一つだとも思いました。
みなさま、心身ともにお疲れ様です。
by あおい (2005-06-24 22:29) 

param

現地で一人で何役もこなさなければならない駐在員の姿が浮かび上がってきました。日本では各部の何人かが担当すべき仕事を一人でやらなくてはならない・・・。中国よりも本社に理解されてないと感じている人は多いのではないでしょうか。Tobermoryさんも出張お疲れ様でした。身体に気をつけてください。ブログこれからも楽しみにしています。
by param (2005-06-24 22:34) 

>「今までやってきたことを思い出し、一から出直すしかない。」
孤立無援のような状況を想像すると涙が出てきそうです。
中国に事業を展開している日本企業の関係者全員にこのトピックは読む価値があると思います。
by (2005-06-25 00:36) 

Tobermory

>あおいさん、こんばんは。感想を言う資格がないだなんてとんでもない。ここは誰が何を言ってもいいところですよ。
ただ私はこの記事に書いていない別の事柄から、おそらく彼の本社はもっと苦しく、彼の会社の社長は心で申し訳ないと泣きながら、彼を頼りに叱咤激励しているような気がするのです。どこもたいへんな時代ですからね。また中国語を身につけるべきと言うあおいさんの回答は正しいと思います。

>paramさん、こんばんは。確かにひとりで何役もこなす駐在員は少なくありませんが、日本にもそういう方はたくさんいらっしゃいますから、駐在員だけが弱音を吐くわけに行きませんね(笑)。ただ上海を舞台に戦う日本代表たちも、なかなか捨てたものではありませんよ。いたわりと応援のお言葉を感謝します。どうもありがとうございます。

>TheBoxcarさん、過分な褒め言葉をいただきました。どうもありがとうございます。おっしゃる通り孤立無援で孤独な戦いをする彼ですが、仮に本社に理解してもらったところで、彼の家族の幸せを犠牲にするところまで追いつめられている日本から有効な支援は期待できないでしょう。しかし、私はやがて彼が自力で成功を掴むと思っています。
by Tobermory (2005-06-25 03:25) 

チャイママ

『ゴミを拾っていたら、涙が出ちゃった』うちの旦那は同じ事をよく言います、読んでいて涙が出てきました、この駐在員の方ほど酷い環境には在りませんが、みんな何かしらを犠牲にしたり、諦めたり、折り合いをつけたりして、頑張っているんだなって、自分は旦那と子供と中国で一緒に居られて幸せなんだなって、日々の悪行?を反省しました。でも、、1週間休み無しの酒びたり(接待でもないのに)の旦那、心配なだけに許せないんですけどね。( ̄- ̄メ)チッ
by チャイママ (2005-06-25 14:34) 

Tobermory

あははは。まあ、そういう気分になる事は私も理解できますよ。ときどきだったら目をつぶってあげてくださいな。
by Tobermory (2005-06-27 21:22) 

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