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峠に君臨する中国の女豹

 中国のドライバーの運転の荒さは定評がありますが、それは上海のような都会よりもむしろ地方でその傾向が顕著です。
 おまけに地方には未舗装道路が多く、みんな貧乏なため信じられないようなおんぼろ車がよく現役で走っています。しかしそこは広く深い中国。そのようなド田舎には未舗装道路とおんぼろ車となんでも自己修理いう過酷な条件下で育ったとんでもない化け物ドライバーがいたりするものです。

 以前、私は上海からクルマで4時間ほど走った杭州市郊外の山奥にある大手中国企業の保養施設を訪ねたことがあります。その日はある企業が泊り込みの幹部研修をしており、私はその講義の一部分を受け持つことになっていました。

 さて講義も終わり、帰る段になって研修責任者が親切にもひと言誘ってくれました。
 「今日はここに泊まっていったらどうですか?」
 私は市内に別のホテルを予約していましたし、こんな田舎に泊まるのもイヤだったので、丁重にお断りしました。すると今度は「それなら早く、陽が沈む前に帰った方がいい」とハク様のようなことを言います。

 私がいぶかしげな顔をすると「ここに来るとき、崖を削った細い山道を1時間近く走ってきたでしょう。あの道は街灯もガードレールもなく、夜間走行するクルマが崖から転落する事故が絶えないのです」と言います。
 言われてみれば一応舗装はされていたものの、小型車同士でもすれ違うのが難しいくらい細く、タイトな急カーブが連続する峠道でした。ここに来るときは午前中だったので「おー、こわいな」くらいで気にもしていませんでしたが、たしかあちこちで道路工事もしていて事態は最悪です。

 真っ青になってあわてて山を下りようとしましたが、あいにくクルマがありません。そこでタクシーの手配をお願いしましたが、「速攻で来い」と呼んでもらったはずのタクシーがなかなかやってきません。
 かなり待ったあげく、あまりの遅さにタクシー会社に問い合わせてもらったところ、何かの手違いで配車されていなかったとのこと。中国ではよくある話ですが、今回ばかりは気が気ではありません。もう夕陽は山の向こうに落ちかけていました。

 お約束通り、それからたっぷり待たされました。もちろん日はとっくに暮れて山奥にある保養所周辺には今までに見たこともない真っ暗で深い闇が広がっています。蒸し暑い夜のねっとりとした闇の奥から虫の鳴き声が聞こえてきて、保養所の玄関にはわずかな光を求めて大小さまざまな蛾がたくさん集まっています。そんな寂しい夏の夜に、私は脇にカバンを置いたまま玄関に置かれた椅子に座って所在無くタバコを吸っていました。
 気が遠くなるほど長い時間が過ぎ、ようやくヘッドライトががたがた道の向こうで揺れるのが見えました。

 ぼんやりとした灯りに照らされた玄関前に砂埃を巻き上げながら、ものスゴいブレーキの音を立ててタクシーが止まりました。
 しかしそのようやくやってきたそのクルマはと言えば、これが15年オチは確実なぼろ車で、あちこち塗装が剥げており、タイヤだって見るまでもなくきっとつるつるです。街灯もガードレールもない夜の峠道で命を託す乗り物としてはかなり心もとないと判断せざるを得ません。

 「ヤバい。やっぱり泊まってこう。」
 そう思った途端タクシーのドアが勢いよく開いて、中から颯爽と女性タクシードライバーが降り立ちました。迷う様子もなくすたすたとこちらに歩いてくると、まっすぐにこちらの目を見据えて「呼んだのはあなた?」と言い放ちました。
 年齢はおそらく40歳前後、目がややきついカンジですが顔立ちが整っていて、若い頃はさぞかし美人だったことでしょう。細身のスタイルのせいか真っ赤なブラウスに黒いパンツというのもちょっと格好よく見えます。両耳には大きな金のピアスリング。

 気おされて思わず首を縦に振ってしまいますと「乗ってください」とだけ言って、私の足下にあったカバンを持ってどんどん先へ行ってしまいます。私も覚悟を決めて後部座席のドアを開けました。

 中に乗り込むと後部座席と前の座席の間は鉄格子のようなもので仕切られており、前の座席との距離がかなり狭く、かなり圧迫感があります。薄汚れた車内は長いこと掃除はしていない様子で、シートのスプリングもへたっていてやけに低く腰が沈みました。

 「じゃ、行くよ。」
 言うが早いか、クルマはヘッドライトだけを頼りに細い山道の中に飛び込んでいきました。

 彼女が駆るおんぼろタクシーはネコバスのようなもの凄い勢いで山道の中を駆け下りて行きます。私はと言えば時々彼女に話しかけられるのですが、彼女の地方訛りがきつくて聞き取りづらいのと、あまり何度も問い返して運転を誤るようなことになったら困る一心で、自然と口数も減ります。

 常時ハイビームのヘッドライトが右に左に絶え間なく振られ、その度に崖からねじれて生えている木の根本や断崖を示す天辺を赤く塗られた小さな石柱標識を瞬間、照らし出します。直線では時速80kmに達するスピードで下り峠を疾走するクルマは、一応舗装はされているがでこぼこな道の上をどん、どん、と飛び跳ねます。

 死をも覚悟したこちらとは対照的に彼女は鼻歌を歌いながらずいぶんリラックスしている様子です。つられて私もだんだん慣れて落ち着きを取り戻しました。そこで冷静に観察してみると、この女性はかなり運転が上手なことに気がつきました。

 下りの急カーブは確かにギリギリまで減速しませんが、そのブレーキングは鮮やかで、シフトチェンジも毎回機械のように正確です。峠の下りで5速を使うところが中国のタクシーらしいところですが、そこから2速まで一瞬でピタリとシフトチェンジし、それと同時に小さくブレーキを使い、急カーブを巧みなハンドルさばきで後輪が滑らないようにきちんとコントロールしています。

 途中いくつかあった工事現場や対向車も難度の低いシケインよろしく、すっと躱してしまいます。ハンドルをわずかに動かしてシケインの脇を狙ったと同時に彼女がアクセルを使うと、まるで豹のような動物がゆっくり近づいてあっという間に抜き去っていくかのように対向車はたちまちバックミラーの向こうに消えていきます。

 コーナーの立ち上がりでのアクセルの踏み込み方も毎回まったく同じです。足下は見えませんが、あまり回転数が落ちていなかった様子から、ヒールを使ってエンジンの回転数を保っているのでしょう。古い車なのでノッキング防止のテクニックとして自然と身についたものなのでしょうか。何度かでこぼこ路面に車体が跳ねる箇所がありましたが、慌てず騒がずアクセルだけできっちりとクルマを制御して、たちまちのウチに姿勢を元に戻します。

 立ち上がり加速をしながら、闇の向こうの次のカーブが見えているかのようにクルマをカーブの入り口に最短距離で持っていく技術は絶品です。流れるように無駄なくコーナーにハナ先を入れる動きには惚れ惚れします。基本的には2速と5速しか使っていませんが、クラッチとアクセルの使い方が完璧なので、そのシフトアップに気がつかないほどで、その様子はあたかも敷かれたレールの上を走っているかのようです。

 「このおばさんは、頭文字Dか!」
 彼女の運転が理解できると、もうこっちの気分はナビです。はたから見れば下りの峠道を80kmで転げ落ちるように走っていても、すっかり心に余裕ができました。むしろ「もう少し出せるんじゃないのか」などとしょうもないことを考えるようになりましたが、その辺は彼女もプロのタクシードライバー。彼女の運転は決してギリギリを攻めているのではなく、彼女なりのセーフティを確保しているのでしょう(たぶん)。

 気がつけばあっという間に楽しい峠道が終わってしまいましたが、来る時に1時間かかった峠は、下りで20分もかかっていません。
 次にクルマは湖と山に挟まれた街中を走りましたが、遮蔽物の多い極端なヘアピンも、真ん中が盛り上がった見通しの悪い三叉路も、彼女の手にかかれば水が流れるが如しです。

 やがて目的のホテルに到達しましたが、ここに至るまでの所要時間はわずか30分でした。私は彼女の運転技術を褒めましたが、当の本人は「普通ですよ」とわずかに笑っただけ。
 彼女はカネを受け取ると、愛車とともに夜の街へと消えていきました。


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sanbonmatsu

中国では車の普及が最近の出来事なのか、マナーに関してはまだ出来ていないように感じます。中国ではあおり行為はないようなことを聞いたことがあるのですが、その変わり車を右に左に車線変更して追い抜いて行くようですね。
首都高バトルがごとく。
是非とも、客を乗せていない一人の時にやって欲しいものです。
by sanbonmatsu (2005-07-23 18:00) 

GS-XR

はじめまして。
「それなら早く、陽が沈む前に帰った方がいい」
千と千尋ネタにも笑わらわせて頂きましたが、
シフト操作とブレーキ操作の上手い女豹さんにNICE!です。
by GS-XR (2005-07-23 19:06) 

チャイママ

フウ~、読んでいるだけでも十分なほど 頭文字Dを楽しませて頂きました。
いつもながら... 死を覚悟しながらもドラィバーのシフトダウン等 しっかり冷静に観察しているあたりはさすがです。お見事!
by チャイママ (2005-07-23 22:21) 

くま

彼女は。。。この保養施設へ豆腐を運んでたんでしょうか
カップの水をこぼさずに。。。
楽しませていただきました。
ちなみに。。。上海人は峠はヘタッピ多いです。
by くま (2005-07-24 00:16) 

Tobermory

>sanbonmatsuさん、中国の車線変更の頻繁さはまさにおっしゃる通りです。「いくら何でも無理だろー」というところでも、強引に隣のクルマの鼻先を押さえつけるような車線変更は日常茶飯事です。本当に客のいないところでやって欲しいものですが、これが不思議なことに客がいる時にだけそういう運転をしやがります(笑)。

>GSさん、はじめまして。今ちょっとGSさんのプロフを拝見しましたが、同い年で誕生日も非常に近いことが判明しました(笑)。ところでバイクはBMWですね?中国ではさすがにR1200GSのようなモンスターマシンは見かけませんが、最近はいいバイクをちらほら見かけるようになりました。

>チャイママさん、こんばんは。なに、見ていたのは他に見るものがなかったからですよ。なんせ前方以外、窓の外は真っ暗でしたから(笑)。しかし彼女の運転は中国の、それもあの街周辺限定でしょうね。ちなみに彼女、生まれも育ちもあの街で、タクシードライバー歴15年のベテランでした。

>以前、過去logを拝見した時におそらくくまさんは昔相当走り込んだ人なんだろうなと感じました。くまさんはバイクもクルマも両方やられるんですよね?それと、上海人が下手なのは都会の軟弱者が多いし、クルマの保有率も低いし、何より峠がありませんから仕方ないかもしれませんね。峠はやはり日本かな。
by Tobermory (2005-07-24 03:07) 

あおい

お、ここでも「頭文字D」ですか。。。
早く映画をみなくては。

それにしてもそんなところへの出張ご苦労様です。
私には絶対にいけないところであります。
アテンド大王のほか、出張大王を名乗ってもいいのではないでしょうか!?
by あおい (2005-07-24 12:40) 

Tobermory

>アテンドも出張も私はそんなに多い方ではないと思いますよ、あおいさま(笑)。ただちょっと変わった知識と製品を専門にしているので、私の代わりができる人間が少ないのです。この出張は中国らしい例の会議がメインなのか観光がメインなのかよくわからないアレです。私ももう二度と行くことはないと思いますが、貴重な経験をしました(笑)。
by Tobermory (2005-07-24 17:05) 

rinda

すごい!日本で車庫入れもままならない私にとっては、憧れます!
うーん、でも生きてて良かったですね。
他の運転手だったら今頃は・・・・(・ ・;)
by rinda (2005-07-24 23:31) 

Tobermory

あははは。そうかもしれませんね。でも私はなぜか人生の岐路に立つたびに、きれいな女性が現れて正しい方向に導いてもらうことが多いんです。彼女のそのひとりだったのかな?
by Tobermory (2005-07-25 01:03) 

くま

綺麗な人が。。。帰路で導く
(¬_¬〃)羨ましい (爆

4輪の方は、好きなんですが。。。オフロードに嵌ってて
峠仕様の車には、結局乗れませんでした( ̄― ̄°)
2輪の方は。。。もろに嵌ってましたよ~
by くま (2005-07-25 20:27) 

Tobermory

>くまさん、四輪はオフロードでしたか。日本にいた頃、友人と一緒に夜中にラーメンを食べに行くぞ!となったとき、彼のクルマが車検中で彼の弟のクルマに乗りました。それがオフロード仕様で、バックシートは外してあっておまけに4点式シートベルト。なんでこれでラーメン食いに行かなきゃならんのかと思ったことがあります。でも面白そうですけどね。
by Tobermory (2005-07-26 00:04) 

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